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ISIS People

編集する人々

  • マンガ×編集

    失われた「好き」を求めて

    マンガ家
    イラストレーター

    今野知

    ぼくは、マンガやイラストを描く仕事をしていますが、小さい頃の夢のひとつに文章を書くことがありました。
    それで、文章の学校を探して、見つけたのがイシス編集学校でした。人生で一回くらい、自分の夢を叶えてみたいなと思ったんです。

    ■自分の欲望がうまく整理できていなかった

    「編集」という言葉が気になりました。実は、イシスに出会う前から、ぼくのなかで「自己編集」がキーワードになっていました。
    今、マンガやイラストを描くことを仕事にしていますが、ぼくの人生は、何かを目指してそれを叶えてきたというわけではありません。
    趣味で描いていた絵がたまたま仕事につながったというのが実際のところです。そのため、自分が絵を描きたいのか、なにかを表現したいのかなど、自分の欲望がうまく整理できていないことが多く、自己編集が必要だなと感じていました。
    編集学校のお題は、自分と向き合うものが多いので、面白かったです。回答を考えているうちに、「自分はこれが好きだったな」と思い出すことが多かったです。

    ■「家族割」をつかって、夫婦で受講

    「家族割」を利用して妻と一緒に受講しました。もともとぼくが「こんな講座あるけど、どう?」って妻を誘ったんですが、妻のほうがのめりこんでしまって驚いています(笑)。
    ふたりで、基本コース[守]応用コース[破]と進み、[遊]の物語講座まで受講しました。ぼく自身は物語講座の受講を迷っていましたが、妻がぐいぐい引っ張っていってくれました。
    妻はゲームのライターで、プロとして文章を書いているものの、自分の物語を書いたことがなくて、ぼくと同じように積年の夢を叶えるべくイシスに入ったようです。
    家庭での会話はイシスのことばっかりになりましたね(笑)。日常会話で「見立て」とか編集術の用語を使っていますし、うちの子どもへの接し方もずいぶん変わったと思います。夫婦ふたりとも、対話を通じて、いろいろな視点がもてるようになったからでしょうか。

    ■『タッチ』の南ちゃんみたいですね

    ぼくは仕事でもエッセイを書いているのですが、とんでもない時間がかかります。ほんとうに文章がへたくそなんです。
    ですから、苦しみながらイシスで文章をいっぱい書いているぼくをみて、妻から「ドMだね」って言われていました(笑)。
    教室の仲間の文章を見て、「こんなの自分には書けない」と泣けてくることばかりでした。自分の文章力には絶望してましたが、それでもめげずに稽古を続けられた理由は、師範代が励ましてくれましたし、やっぱり面白かったんです。
    [破]のとき、自分が書いた物語に登場する女性について、師範代から「『タッチ』の浅倉南ちゃんみたいですね」というコメントをいただきました。それがずっと心に残っていて、[破]を突破するあたりでふと、なにかがわかりました。
    でも師範代こそ、「みんなの南ちゃんじゃないか!」と思います。叱るときは叱ってくれるし、応援するときは心から応援してくれます。

    ■「これが好きだった」を思い出す

    ぼくにとって、イシス編集学校は「文章をうまくするためのツール」だけではありませんでした。
    それ以上に、自分と向き合って「そういえばこれが好きだった」という興味を思い出して、世界が勝手に広がっていったというありがたい場でした。

     

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  • 時間×編集

    時間を編集して、もっと自由に

    ハレ暦案内人
    富山シティエフエム「藤田小百合のハレ暦」

    藤田小百合

    私がつくった「ハレ暦」のテーマは「月」です。
    20年ほどまえ、月に関する本を読み漁っていて、そのとき松岡正剛校長の『ルナティックス』に出会いました。

    ■変化のきっかけをつかみたい

    それから2013年、松岡校長が新潟弥彦村で行われる「全国門前町サミット」というイベントで講演をすると聞き、娘と一緒に参加しました。
    そのとき会場の座席にイシス編集学校のパンフレットが置いてありました。「編集学校」という名前から、文章を書く人たちが学ぶところなのかなと思ったので、はじめは私には関係ないやと遠巻きにしていました。でもその半年後くらいに、部屋の掃除をしていたら、たまたまパンフレットが見つかり、当時、自分の思いを伝えるということに日々限界を感じていたので、ここで何か変わるきっかけをつかめるかもしれないという淡い期待とともに入門の決意をしました。

    ■文章を書く練習じゃないんだ!

    基本コース[守]を受講して、まずビックリしたのは「文章を書く練習じゃないんだ!」ということ。
    でもなにより驚いたのは、修了イベントの「感門之盟」です。
    何に驚いたのかといえば、みなさんのモチベーションの高さです。イシス編集学校というところには、こんなに熱意のある方たちが、これほどたくさん集まっているのかと圧倒されました。
    さらに応用コース[破]受講して、イシス編集学校で学ぶ編集術こそ、私が「欲しかったものだ!」と確信しました。
    そもそも私が「ハレ暦」をつくったのは、あらゆる関係を察知するためなのですが、その発想と、すべての情報に関係性を見つける《編集》はまったく同じだと思ったんです。

    ■「情報」と「時間」がつながった

    情報を関係づけるというのは、編集の基本ですが、松岡校長の『知の編集術』を読んだとき、そこで書かれている「情報」という言葉が「時間」という単語に置き換えられることに気づきました。
    情報はどこで区切るかによって意味が変わります。同じように、時間も切り取り方によって意味が変わります。
    人は起きてしまった出来事にとらわれますが、編集術を知っていれば、もっと自由になれると思いました。

    ■同時にいろんなことができるようになった

    「ハレ暦」ユーザーの仲間には、編集学校で学ぶ人も多いのですが、みんな口々に「イシスに行ってよかった」と言います。
    とくに、「同時にいろんなことができるようになった」という声が多いです。ひとつの時間だけでなく、何層もの時間が同時進行しているような感覚でしょうか。
    時間が編集されれば、心も編集される。心が編集されれば、悩みが解決する。
    そのための方法が、イシス編集学校にはあります。

     

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  • 起業支援×編集

    起業支援と「たくさんのわたし」

    NPO法人起業支援ネット代表理事

    久野美奈子

    25年以上まえに、母から松岡正剛校長のことを教えてもらったことが入門のきっかけになりました。
    亡くなった母は、『ルナティックス』や『フラジャイル』『空海の夢』を愛読する松岡校長の大ファンでした。

    ■とにかく楽しかった編集稽古

    母は、いま私が代表をつとめている起業支援ネットの創立者で、女性起業家の支援をしていました。
    その一環として開催した講演会に、松岡校長をお呼びしたんです。私はその講演会に、受講生の一人として参加していました。
    それから数年が経って、母のもとに編集学校が開校するという案内が届いたんです。校長のお話もおもしろかったし、ちょうどそのころ育休に入るときだったので、タイミングよく入門することができました。
    入門した教室での稽古が、とにかく楽しかったことをよく覚えています。めくるめく体験でした。
    熱中する私を見て母は「ここまでハマるとは」と驚いてましたね。でも、自分では「編集術がわかった!」と思ったことは一度もありません。

    ■「たくさんのわたし」に出会って

    ひとつ言えるのは「たくさんのわたし」というお題に出会って、私の人生が変わったということです。
    「たくさんのわたし」というのは、「私は◯◯な□□である」という形式で自分を語り直すお題です。
    私は昔から自分の器用貧乏さに若干のコンプレックスを抱えていました。
    例えば、起業支援においても起業家さんは本当に目指したいものを発見したんだろうなと感じるけれど、自分にはなにもないと思っていました。
    でも、「たくさんのわたし」のお題に取り組んで、「すでに『私』はいくつもあるじゃん!」って心から思えたんです。20年以上経った今でも、あのお題が出たときのことはよく覚えています。
    一日中ずっと「私は◯◯」とメモに書き出していました。「食いしん坊な私」「口ばっかりな私」など、社会的に評価される私ではないかもしれないけれど、すでにそこに自分はあったんだと分かり、そのことに本当に救われたんですよね。

    ■相談者が気付いていない「わたし」を発見する

    起業を目指す方の相談を受けるという仕事は、イシスでの師範代の役割とかなり共通しているように思います。相談の時間というのは、いわば一緒に「たくさんのわたし」を発見する時間なんです。
    相談に来てくださるみなさんは、多くの場合、「自分にはこれくらいの経験しかない」とか「起業するには○○が足りない」といった悩みを抱えています。
    私の役割は、相談者が気付いていない「わたし」を見つけ、その人の可能性を開いていくことです。
    そのプロセスはまさに「受容・評価・問い」という師範代の3つの骨法と重なります。私は、目の前の人がご自身のナラティブを語り直すプロセスに立ち会いたいんだと思います。
    自分を語るためには聞き手が必要です。そういうときの「よい聞き手」でありたいと思っています。

    ■世の中の「かすかな声に耳を澄ます」という哲学

    「この人の見ている景色を見たいな」と思ってそれを実践できるのは、イシス編集学校で師範代経験があったからです。
    イシス編集学校の根底に流れるのは、世の中の「かすかな声に耳を澄ます」という哲学だと感じています。平たい言い方をすれば、それは世界や知や人間を信じたり、関心を持ち続けたりすることのあらわれだろうと思います。
    私はそういう世界観に共鳴しているから、20年以上もずっとイシス編集学校に恩義を感じているのだと思います。

     

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