2010.9.27   [レポート]
No.23『ガセネッタ&シモネッタ』赤松木の実さん

 先達文庫前書き2.gif

異なる情報同士を関係づける、という意味において、通訳と編集はよく似ている。とくにロシア語同時通訳者の米原万里さんの著書を読むと、通訳と編集の根っこは繋がっていることに、イシス編集学校で学んだ人ならピン!とくるはず。赤松木の実さんに贈られた一冊にも、通訳名人ならではの“こだわり”が凝縮されている

あかまつ   こ の み

赤松 木の実さん  15期[守] シンドロ六甲教室 師範代

(大阪市在住/クリエイティブ・ディレクター)

【ISIS編集学校略歴】10期[守][破]、2回花伝所[遊]風韻1座、[離]4季、[遊]物語1綴、15期[守][破]師範代、23期[守]師範代


松岡正剛校長から赤松木の実さんへの先達文庫
「ガセネッタ&シモネッタ」米原 万里/文春文庫

ガセネッタ&シモネッタ

ガセネッタ&シモネッタ

米原 万里
  • 文藝春秋

 【内容紹介】国際会議に欠かせない同時通訳。誤訳は致命的な結果を引き起こすこともあり、通訳のストレスたるや想像を絶する・・・ゆえに、ダジャレや下ネタが大好きな人種なのである、というのが本書の大前提。「シツラクエン」や「フンドシ」にまつわるジョークはいかに訳すべきかをはじめ、抱腹絶倒な通訳稼業の舞台裏を暴いたエッセイ集。


 

わたしって、ガセでシモの人??

 壇上で、松岡校長は少し悪戯っぽい少年のような笑顔を浮かべた。「赤松には、ガセネッタ&シモネッタを贈ります」えっ、何よ、そのタイトル。みんな、高尚っぽい本を贈られているのに、なんで私だけこんなみょうちくりんなタイトルなの?私の指南、そんなにガセだった?そんなにシモっぽく思われてんの?それが、タイトルを聞いたときの第一印象だった。すると、校長は今度はいささか鹿爪らしい顔つきになり、「異なる文化と文化の橋渡しをする通訳名人の読ませるエッセイです、いろいろ勉強になると思う。学んでください」と付け足した。

 


下ネタから、編集工学へ。
 

 タイトルはともかく、米原万里のエッセイは一度読んでみたいとは思っていた。それに、校長が私のために選んでくださった一冊だ。さっそく、帰りの新幹線のなかで読み始める。むっちゃ、面白いやんか。もちろん、ただ面白いだけではなかった。通訳者には下ネタ好きが多いという。これほどいかなる言語、文化をもラクラクと飛び越え万人に通じるネタはないからだ。で、これこそが、グローバリズムにも合致するという。下ネタとグローバリズム?そう、下ネタは万国共通。軽々と、異文化をオーバーランするのだ。なるほど、深い。

 では、同じように通訳者がダジャレを好むのはなぜなのか?意味には言葉が指し示す事物に対する常識や伝統的観点が染みついている。ダジャレによって、それがズレる快感こそが笑いのもとである。通訳者は仕事上、つねに意味のみを訳すことに縛られているため、意味から解き放される解放感にたまらなく惹かれるらしい。言葉の意味のズレ。ある言葉とある言葉のアイダ。きわめて編集的キーワードではないか。私はわくわくしてくる気持ちを抑えることができなくなってきた。

 異なる文化、発想法の話し手と聞き手のあいだに意思疎通の架け橋を建設するには、誇張や意訳という名の異訳は欠かせぬ接着剤なのだそうだ。これって、まったく違う情報と情報に新たな関係線を引いてみる編集工学とかなりダブってくる。イギリスの作家、グレアム・グリーンが作家としての才能は、大量の情報に接しながら、瞬時にそのなかから本質をつかみ、言葉でもって伝える能力だと言い切っていると米原さんは書いているが、これだって編集工学そのものだ。大量の情報のどこに旗を立てるのか。そこから、何を掬いだすのか。そしてそれをどう解釈し、どう自分の表現にするのか。優秀な通訳者のアタマの中には、自然発生的に編集工学がうごめいているのだった。

 

akamatu_hon1.jpg
扉に綴られた校長メッセージ。「通訳名人のこだわりの一冊」とある

 

「語根」~ 米原万里と白川静をつなぐもの。

 今回、新たに再読してみると、最初に読んだときには気がつかなかった言葉にも出会った。米原さんは通訳者であるから、仕事をしていくためには辞書がないと成り立たない。英文学者柳瀬尚紀さんとの対談で、彼女は「語根」という言葉をしきりに使っている。

 「語根」とは、意味の根幹みたいなもので、いわば言葉の持っている基本要素、意味の素。その意味は文脈に応じて変わっていくが、それでもいちばん基本的な意味はある。その基本要素を「語根」と米原さんは考えている。これは、ロシア語文法を習ったときに出会った概念だという。日本語というものは、言葉の意味を80パーセントくらいしかわからなくても、内容は理解できる。知らない単語があっても、文脈とか、語根で、ほとんどの意味は類推できてしまうからなのだそうだ。この「語根」という言葉が私にはとても気になった。言葉と言葉のアイダ、異文化を日々肌で感じている人が、「語根」の来歴までちゃんと載せてくれている辞書はとても面白いと言っているのだ。

 「語根」というキーワードからは、白川静さんが立ち上がってくる。同時に、どうしたって「漢字マザー」を連想してしまう。「漢字マザー」とは、白川静さんが説いた言語文字力の呪能の基本をあらわす核心的なもので、校長による命名だ。字源、語源、語根。考えてみれば、白川静さんも甲骨文字と漢字というふたつの言葉のあいだに分け入り、優れた通訳、翻訳をしてくれたと考えると、米原さんと白川さんの立ち位置は対象こそ違えどよく似ている。私の中で、この二人は新しい関係線でつながったのだった。

 
 

英語一辺倒は、日本をダメにする。

 

 企業内での英語の公用語化が最近ニュースになっている。賛否両論あるが、もし米原さんが生きていたら、真っ先に異を唱えていただろう。

 どんな言語でも、他の言語に訳されるときの情報は、その言語によって担われている情報の数百分の、いや数千分の一にも満たないという。つまり、ひとつの言語を知るか知らないかによって、その人の情報地図はまったく異なってくる。どの言語も、その言語ならではの発想法とか、世界観を内包しているものだ。だから、たったひとつの言語を経由するのではなく、日本語と世界中のさまざまな言語との直接的な交流こそが、日本人と日本語をより豊かにするし、日本が特定の超大国経由ではなく、直接世界の国々と対等な関係を築くことこそが、本物の国際化なのだ。米原さんは、こうも言っている。「英語第二公用語化は、日本の豊かな可能性を閉じる鎖国政策にほかならない」と。

 驚くのはサミットでの同時通訳の方法についてのくだりである。私は、まったくその現状を知らなかった。参加国を言語別に分類すると日本語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語という六カ国語。ところが、たとえばフランス首脳の発言は、直接他の言語には同時通訳されるが、日本語へは、英語経由でなされるという。つまり、フランス語から日本語ではなく、フランス語→英語→日本語という順番。日本語で発言するとまず英語に訳され、それから他の言語に訳されるのだ。これは異常なコミュニケーション形式であると米原さんは警鐘を鳴らす。

 この悪習、なんと1975年から続いているらしい!同時通訳だから、時間差はあまり生じない。だけど、二カ国語の直接の、しかも同時ではない通訳さえ、微妙なニュアンスや感情の機微が通訳のプロセスで抜け落ちたり誤情報とすり替わったりしてしまうものだ。同時で別な発言を経由した場合、その確率は数倍になる。この方式でいくと、日本首脳の発言は、つねに英語的解釈のフィルターを経て他の言語に伝わるということになる。これを日本は四半世紀もよしとしてきたのである。(今現在はどうか知らないが、改善されていることを祈るばかりである)英語公用化がまかり通るようになってしまうと、この悪習は永久になくならないかもしれないと、少し心配になってきた。



akamatu_hondana1.jpg

先達文庫と千夜千冊がどっしり腰を据える赤松さんの本棚

情報を、どこから、どう視るのか。

 通常私たちは、日本というウチ側からしか世界を見ることができない。そしてたいていは、日本語で発想している。だから何より、日本のことや日本語の知を充実させることは最優先課題だ。まずはそれを基本としながら、そこに日本をソトから視るという視点をつねに持っておきたいし、英語圏という単一のフィルターだけでなく、もっとアジアやヨーロッパ、あるいは宗教や思想などの多彩なフィルターを通して考えるという作業を標準化したいと思う。結局グローバル化だの、国際化だの叫んでみても、日本のことを知らなければどうにもならないし、そこにウチとソト両方の視点、もっと言うと複眼の視点が加われば、情報の立ち位置も姿もまったく変貌してみえる。

 この考え方の基本を授けてくれたのは松岡校長だ。編集学校の学びのなかには、情報をつねにデュアルやマルチな視点でとらえるといったことや、情報と情報の関係を多彩に動かしてみるという方法論があった、そしてそれは、紛れもなく今の私の視点や思考をまとめるときの揺るぎない軸になっている。
 『ガセネッタ&シモネッタ』には、新たな複眼の視点を得るための異端と多彩さの方法論があった。言語は意思の疎通だけでなく、考えるためのとっておきの道具なのであるということだって教えてもらった、それこそが、校長が学びなさいと手渡してくれたもののひとつに違いない。特有の言語というものが培う、その言語ならではの視点や方法論。私は、それをこれからも探し続けていくのだろう。

akamatu_hito1.jpg
今夏、23期[守]の師範代を務め終えた赤松さん(写真は4季[離]退院式)


(文・赤松木の実)