2009年7月18日、築地の時事通信ホールで開催された第5季[離]の退院式では、「耽像院」「遊境院」合わせて27人の離学衆が晴れて退院認定を受けた。

それぞれに、校長の署名入りの「退院認定証」とともに別当・総匠からの退院祝福メッセージを合冊した特製のホワイトブックが、松岡校長から手渡された。

以下、退院式の壇上で太田香保総匠が紹介した、離学衆の「離論」の一節とともにその顔ぶれを紹介。


 
 
 



◇白木賢太郎
同時に読む、音読する、ギアチェンジする、 そこにトピカがあり、コンディションがある。著者語りを自己語りで補い、著者とまじりながら 掩巻する、マッピングする。 それを慎独し、逆向きに問いを作ってみる。 自分の頭で歴史的現在を理解し、本来を考える。

◇小濱有紀子
私にとって、耽るだけのものであった「書物」は、 像を結ぶための文巻という「言葉」を通じて、 世界と戦うための知の武器となった。
私は自由である。書物を持ち、図書街へ出よう。

◇福田徹
「自分」とは場の[抜き型]である。稽古をしていた福田徹は、回答ペースや応答速度で時間を刻む人であり、締め切りや本気などの与えられたルールに順応できる人であり、計算機や工学の設問を引き受ける人であり、表沙汰で握手や評価を示してもらえるような人でした。 全て、自立孤立した特性ではなく、耽像院に集ったブレインとの相対的な関係における人格です。耽像院の[部分]としての福田徹という人格でいたことを誇らしく思います。

◇中西和彦
日常の言語と内的言語(発話)のずれを感じつつ過ごして来た自分を冷静に振り返ることができた。今、言葉はしっかりと見え、テクストの中の発話が聴こえ、人の愛を感じています。

◇矢野敏雄
書き手と読み手とがキソイ、アワセ、カサネをし、 書き手になった後に、すぐ読み手になる。書かれてある事をなるほどと思う。また、自分の想いを書物に書き込む。 これが、世界読書奥義の秘伝中の秘伝だ。

◇岡本尚
[離]を志望した理由に「瀉瓶」を挙げました。日本で生きていながら日本のことを何もわかっていない、もっと知りたい、そして子孫に伝えていく使命があると考え、[離]に水を求めたのです。いただいた水を私が瀉瓶する番になりました。

◇加藤之康
一見バラバラに見えるある二つ、あるいは複数が連動して動いていくと、そこに新しい知が生まれ、文化が創造される。世界読書の「方法」という知を一気に加速させてくれた「バロック」。この捉え方に出会った瞬間、恋をしてしまったのです。

◇景山和浩
コトバは人間の生き方をつくりだす。 これほど1つのことに集中し熱くなりそしてヘコまされたことは、これまでなかった。分かったなどと安易に口に出すことはもちろんできない。これから一生をかけて、「青い鳥」を探す冒険を続けるのだと思う。

◇菊池かな
ただただ校長と宇宙に満ちる縁起に感謝したいと思う。「文巻」に溢れる校長の学衆への愛は永遠だ。「文巻」を紐解くたびに刻まれた永遠の愛に触れる幸福を噛み締めたい。

◇松下久美子
粋(いき)と粋(すい)の間。この二つの言葉の中に「まっとうさ」や「潔さ」を感じます。他に媚びないといったらいいのだろうか。自分というものを知り、わきまえ、それが人への接し方にも表れるような。あの表沙汰の日、私は校長はじめ火元組の方々にこの「粋」を感じたのでした。なんとも清々しい心地よさと、凛とした心意気に出会えたのです。

◇米山拓矢
言葉に入って、言葉を離れるためのパサージュ。それが私の【五季離】でした。言葉を離れて見えたのは、「言葉」と「言葉」の「あいだ」でした。それは、「人の見方ごと」を入れることができる「アナロジーによる写し」の可能性です。

◇大石大蔵
[離]とは、生き方のことである。いくつかの季節をまたぎ、たびたび足元をすくわれるなかで、ようやくそのことに気がついた。宇宙的礼節が、ある時にだけ発令されるなどということがないように、[離]は、いや[離]こそは、「私」という仮設的な自己を含んだ経験できるすべての事象が、たがいに延長しあう相依関係にあることをカタルトシメスする時空でありつづける。

◇山口桃志
リバース・エンジニアリングなふるまいで情報を受け止めていくのが「日本という方法」ではないか。 あたかも「答え」からたくさんの「問い」をさがすように。





 



◇稲葉一樹
「文巻」は第一に、「日本という方法」の呈示である。第二に、「編集モデルの交換」の実際を示した新しいコミュニケーションの型である。
第三に、読書という精神の運動のアナロジーである。やはり[離]は世界読書奥義伝だった。

◇落合豊
千本ノックのボールがもう飛んでこない。 ほっとすると同時に少し寂しくもある。 しかし、私は校長と一緒に読書をするすべをわかっているのだから、寂しく思うことはやめよう。校長ならここをどう読書するか、この本についてならどんな「千夜千冊」を書くのだろうと考えてみる。こんな調子でこれからの読書をやっていくことにしよう。

◇大野哲子
[離]は螺旋階段である。今離の第1巻は閉じられ、新たなる第2巻の表紙が開かれた。また一人旅に出よう。しかし決してもう「一人」ではないのだ。あまたの本と人とのダブルページで出来た双蝶の橋のふもとから、今日、私は旅立ってゆく。この宇宙は、か弱くも猛々しい番いの蝶から成り立っているのだ。

◇蜷川明男
人が変わるのは一瞬だと別当から学びました。十人集まれば何かが起こせると校長から学びました。校長や火元組、そして千離衆という同胞衆・同朋衆もいます。また校長を継ぐことは私塾や知のコモンズの拡充に尽力していくことでもあります。そこからも「知の草莽」の系譜は広がりを見せるに違いありません。啓蒙こそが、グローバリズムやネーション・ステートなどが引き起す現代の諸問題に対抗していく唯一不二の方法なのです。

◇田原一矢
「天空の割れ目」を探すのは容易なことではでないと感じていた。しかし今では、それは単純なことだと気づいた。本を読み、問いを発すること。ただし真剣さが足りなかったのだ。[離]で学んだ方法を元に、本当に自分が深く気になる「説明のつかない」問いを発することを目指していきたい。

◇塚田有一
光の網。ふと気がつけば、世界は編み目だらけだったのです。網の先はまだ結ばれていない触手のような糸やひもが、最初の触知力そのままで振るえています。そここそが歴史的現在です。 そういう小さな縫い目や編目をこそ、注意深く見つめていきたい。

◇齋藤友理
編集が社会を作ってきたことを、深く感じました。 また、その背後には、切実さと凄まじさが存在することを知りました。 いろいろな人が、「校長は闘っている」と口にしていることの意味も、やっと理解できました。

◇川畑義和
われわれは「途中からの出発者」である。だからこそ、歴史を読み解き、自分の立ち位置を確認し、これからの動向を自分で探す。そのための武器が「文巻」に散りばめられていた。

◇講武毅
「利他」と「個を滅する」ということを混同しがちでしたが、真のシステム観をもってすれば「部分と全体」がきちんと両立するということを、今の私なら言い切ることができます。

◇深谷かしこ
[離]を通じて、いままで訪れたこともなかったような、宇宙や物理などの世界にも、気がついたら足を踏み入れていた自分にびっくりしています。 これが「やってくる偶然」と「迎えにゆく偶然」がぴったりあう瞬間のこと、偶然を必然にしてゆくことなんですね。

◇岡田純子
メディアたるべき私たちは、立脚すべき点など持たない。全ては相対的であり、私たちはいつも空中を世界とともに飛んでいる網目の一部なのだということ。ここに、本当の「謙虚さ」である「宇宙的礼節」が必然的に発生するのではないか。

◇森美樹
「世界読書術」の冒険から帰ろうとする今、 この16週間で広がった「知」のスコープとそのなかに引かれた無数の境界と関係の網の目の片隅に、自分と世界を結ぶ小さな入口の扉を見つけられたことが、今はうれしい。

◇前原章秀
自分にとっての「鍵穴」である「陽気さ」をベースにして、「世界」と向き合って生きたい。それは、決してその場をごまかしたり、茶化したりするような笑いをもって臨むことではない。それは、「怒り」を持ち、「世界」のさまざまな矛盾や葛藤の境界で揺れ、背理を抱えながらも、それを「陽気」に乗り越えていこうとする遊境的態度である。

◇村越力
この16週間の過酷な日々。イニシエーションのような設定の意味。 こんな思いを通して「当事者」感覚が身につく。知を生み出す場に直に居合わせている感覚。そして、「切実」。「一期一会」。「離」を終えつつある今、ひしひしと感じるものです。





 



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粛々と退院式を進行する太田香保総匠