2008年7月12日、築地の浜離宮朝日ホールで第20回感門之盟が開催され、あわせて第4季[離]の退院式が行われた。校長から「退院認定」の通知を受け取った27人の離学衆全員がそろい、校長の手から世界読書奥義を修得した証として、「退院認定証」を受け取った。
「退院認定証」には、校長の署名入りの認定証のほか、別当師範代・別当師範・総匠がそれぞれに向けて綴ったメッセージがセットされている(じつは退院認定証も毎年一部デザインを変えている)。
下記の退院者たちの言葉は、退院式でスクリーンに映し出された、それぞれの「離論」の一節である。
|
|
□土屋満郎
[離]は、迅興院は、僕にとってのルビコン川だ。ポイント・オブ・ノーリターンだ。この空前絶後の体験で、僕は胸中の山水に気付き、何ごとにも毅然と立ち向かう勇気を獲得した。院の灯りが消えても、胸中の炎が消えることはない。
□赤松木の実
終わってみれば、生涯のなかの本当にたった15 週間だった。しかし、まさしく「一生の離」だった。世界読書へと向かう準備はできた。いつでも戻れる苗代もある。どんなテーマであろうと、もう怯むことはない。
□淘江貴子
生きている「わたし」はいつもはみ出している。延長的自由に在る。
そしてどこかに「知」がある限り、時空を超えて連なっていこうとする。
□古田茂
今ここから境界を跨いで世界と向き合おう。技を磨いて背中をつくる、自分をピークモーメントに持っていく。そして間をつめる。本当の修養はこれから始まる。
□大関伸男
「日本という方法」の設計思想のようなもの(メタ文巻)に興味があります。その背景にある膨大な情報を、どうにかして必然化してみたい。
□ヤハギクニヒコ
ただただ返す返す、初心を忘るべからず。花は心、種は態。僕は種をまき続けます。toからfromへ、懸から待へ、物数を尽くします。「苗代」をつくります。
□宇都出雅巳
書物は世界であり、世界は書物である。これからは世界を書物で読むだけでなく、書物という方法で読んでいく。この人生を生きるということは、世界を読書するということなのだ。
□高萩健
触知感覚を持った言葉からこそ、人間メディアとしての「苗代」を復活させることができるのではないか。言葉から世界に近づくための苗代を作る。そこには[離]がある。
□小林佐和子
「このまま」から「そのまま」へ体ごとまるごと投げ出す準備はできた。世界読書奥義伝という手引書は携えた。もうなにも迷うことはないのだ。いざ、迅興に。
□狩野理津子
苗代の中で、真水によって育まれた苗たちが、これから先、どのようなかたちで成ってゆくのか。その行く先を見つめたい。
□土佐尚子
[離]では、こんなにも軟らかいシステムが作れるのだという編集的自由の感触を初めて感じた。それは生命のシステムを基盤としている。日本という方法が染み入るように深く揺らいでいる。
□吉津茂径
「離」と「世界」のあいだを見つめて立ち上がった非平衡開放システムのそのなかに、私はついに歴史的現在の意味を見つけた。
□齊藤和男
世界は常に流動的な存在なのでしょう。永遠不滅の理想郷などというものはない。それに対応する方法はあるのか。松岡校長は、そこに「日本という方法」を示してくれた。
□松尾亘
未完了のまま残された余分、それを幼な心とよべないだろうか。ここに繋がる余地があるのかもしれない。われわれの存在周辺に、そのやわらかさによって苗代をしつらえることだって可能なのかもしれない。
□神山有佳
カインとアベルのいた地にも、墨子の地にも、ヨブの地にも、鳥の鳴き声はいつも聞こえていたはず。そして私にも、朝を告げる。そこから、新しい名を聞き取るのだ。一生の離に、光の苗代に。
|