2011.1.18   [レポート]
No.29『不思議の国の論理学』廣瀬良二さん

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『不思議の国のアリス』の原作者ルイス・キャロルの作品は、論理的な構成によってファンタスティックな世界へ誘う。大阪でエンジニアとして活躍する廣瀬良二さんに手渡された一冊は、そんな不思議な国行きのチケットだったようだ。

廣瀬 良二さん  第16期[守]ライナ700C教室 師範代

(エンジニア/大阪府寝屋川市在住)
【ISIS編集学校略歴】
 12期[守][破]学衆、16期[守]師範代、4季[離]、19[破]師範代



 松岡正剛校長から廣瀬良二さんへの先達文庫

『不思議の国の論理学』 

ルイス・キャロル/柳瀬尚紀編訳 (ちくま学芸文庫)

不思議の国の論理学 (ちくま学芸文庫)

不思議の国の論理学 (ちくま学芸文庫)

ルイス・キャロル
  • 筑摩書房

【内容紹介】論理学にまつわる諸問題をクイズ形式で読者に次々と問いかける。その難問にどれだけ応えられるだろうか。論理学というと一見、無味乾燥で、厄介で、頭が痛くなりそうだが、ルイスキャロルのワンダーランドに柳瀬尚紀の訳が加わって、おもしろおかしく数学的な思考が身につく本。日常当たり前と考えていた事にちょっと視点が動きます。


  

彷徨うことの正しさ


 先達文庫として、私が頂いたのはルイス・キャロルの『不思議の国の論理学』。「ルイス・キャロルといえば、いわずと知れた『鏡の国のアリス』だったけど。。」この本を手渡された当時の第一印象はそれだけだった。それ故に正直な感想は、「不思議と論理学?ってどう合わさるの?」と私の頭の中が不思議マークで一杯だった。

<サイクリング指南にワンダー数学を加味して>

 本書に添えられていた校長の言葉にはそう書かれていた。その時の不思議マークは、「ワンダー数学ってアリスのワンダーランドの事だろうか?」
「迷いながらあちこちと目を向けてみればよいという事か?」「いやいや、ぶらぶらしないでしゃきっと進めという事だろうか?」と、校長はどんな関係をこの本と私の間に持たせてくれようとしているのか。迷うばかりだったと思い出される。

この本には以下のキーワードで論理学が解説されている。

パラドクス、アキレス、謎なぞ、ダブレット、アナグラム、アクロスティック、魔法の論理、初等幾何学、数字のおけいこ、タングラム、記憶術、アルファベット暗号法、オリガミ、論理ゲーム、コート・サーキュラー・・・

どれも私にとっては頭がくらくらするような表題である。今、本の目次を前にしてどんな内容だったかと頭を巡らせてみる。<パラドクス>は確か亀とアキレスが登場して・・・、<ダブレット>はダブる言葉遊びで、といった具合だ。思い出せる、そう考えてみても、記憶に残っていたのは僅かだ。なんとも情けないがあいまいにしか思い出す事ができない。そのあいまいでぼんやりとしたままページをめくり直してみた。

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Seigowサイン入り。サインもデザインの一部に。

第一章.例えば、<論理のパラドクス>の表題ではアンクル・ジムとアンクル・ジョーが床屋の店の前で言い争う物語仕立てになっている。彼らは二人で出かけた行き着けの美容室を前にして、言い争いを始める。ただし単なる世間話という訳には行かない。美容室を前にして彼らは言い争いを始めた。それは単にお気に入りの美容師カーが店にいるかどうかを話のネタにしているだけだが、こんな風だ。

ジム「カーはかならずいるさ、わしには証明できるのだ、論理的に」

ジョー「論理的にだと!おまえさんの論証が、結局なんらかの背理にならなかったためしはないね!」

カーがお店にいる事に対してアンクル・ジムは証明を始める。

ジム「・・・と、この仮言的命題は有効であることがわかるだろ」

ジョー「それは論理的推理でないな、ふたつの矛盾する仮言的命題が真である事はない」

ジム「ありえないかね?」

ジョー「2個の仮言的命題が同時に真である事はありえない。それは背理になる。よってゆえにカーが外出している事はない。これこそ見事な背理法だ」

ジム「だが、2個の仮言的命題が同時に真である必要は?二つは背理ゆえに説明可能だ」

ジョー「きみは条件と帰結を間違って分けている。その帰結は一種の副仮言的命題だ」

 床屋につくまでに長い議論が続くのだった。

この会話が普段の聞きなれたものという事はない。つまり、この会話を日常とする人々が登場人物であるのがこの本のなのである。


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「サイクリング指南にこのワンダー数学を加味してね」と松岡校長。

 続く章からはさらに不思議な論理の世界へ入っていく。

<初等幾何学の定理:全ての三角形は2等辺3角形である>

<64=65=63>

<猫と鼠の関係:6匹の猫が6匹の鼠を6分で殺すなら、
  50分で100匹の鼠を殺すには何匹の猫が必要か?>

といった命題や難問とその証明が示されている。本当か嘘か、真か偽か。簡単にはその判断を迷うものばかりがずらりと並んでいる。しかも、日常の感覚では「そんなのありえない!」と思ってしまう。それで読み進めていくうちに当時の私も不思議な国に入りこんでしまったような感覚を覚えた。しかも答えがちゃんと示されているならば現実世界へ帰ってくるのも可能だが、答えがなかったりする問題に出会った時には、もう抜け出す事が出来ない。

本の初めから最後までこのような具合で進む。当時の私も本の世界に彷徨いながら読み進めていた。「まだまだ校長の言おうとしている事を言うには勉強不足かなのかもしれない」と落胆しながら。


ルイス・キャロルは本名をチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンという。19世紀のイギリス出身でその肩書きは数学者で論理学者で写真家で作家で詩人となんとも多彩な人だ。数学者なんだからこの本を書くのも容易なのだろう。他の著作としては、『不思議の国のアリス』以外にも、『スナーク狩り』『シルヴィーとブルーノ』などで知られる。

私はこういう様々な分野に身を寄せて活動の場を広げている人に憧れてしまう。それは当時の自分も、今の自分も。技術者として仕事をしつつ、面白い人がいたら出かけてみたり、フィクションを創作してみたり。何か一つだけを追求し研究していくのも大変な事だが、ある一つの事を知っていくと、周りの分野もぼんやり見えてくる。周りが見えてくるとどうしても気になってくる。そうすると手を出さずには居られない性分なのかもしれない。

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廣瀬さんの本棚。先達文庫は『知の編集工学』と
『イスラームの世界地図』の間に挟まれている。

私の好きな人物の一人にボリス・ヴィアンがいる。彼は19世紀に生きたフランスの作家である(と私は思っている)が、ジャズ・トランペット奏者であり、シャンソンの作詞作曲者であり歌手であり、音楽会社のディレクターであって、その傍ら小説・戯曲を書いたとも言われる。それでいて土木技師という肩書きも持っていた。彼の『日々の泡』という作品の中でこう述べている「人生でだいじなのはどんなことにも先天的な判断をすることだ、しかしそこから身の処し方の規則なんかをこしらえる必要はない」。物に触れたときの直感に従い、ルイス・キャロルもボリス・ヴィアンも見るもの・触れるものが気になって仕方なかったのだろう。


当時、私は良く以下の事で悩み漠然とした不安を持っていた。

「私は今どこに向かって走っているのか?」

「気になる事あっちこっちに手を出していて良いのか?」

「自分の筋を通すとはどういう事だろうか?」

渡されたこの本は、論理の不思議な世界へ誘いつつ、本書の作者ルイス・キャロルと私の間に関係線を結んでくれた。当時進むべき方向に悩んでいた自分と今の自分を比較してみると、どれほど先の見通しが立っているかは疑問だが、見通せる事が一番という考えよりも、直感が大切ではないかと教えてくれたのは確かである。

本書には、答えのない命題が表れている。それは、ルイスキャロルののち、ゲーデルよって示された不完全性定理が明らかにした事へつながっていた。全ての論理が無矛盾である事はない。むしろ完全である事が既に不思議な世界となっているのだ。



廣瀬良二さんD本人.jpg

先達文庫を手に読書中の廣瀬さん。


 (文・廣瀬良二)