2010.5.25   [レポート]
No.16『復興期の精神』相京範昭さん

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松岡正剛直伝プログラムである世界読書奥義伝[離]の別当師範代を5季連続引き受けたタオイスト・相京範昭さん。つねに酒を愛し、連帯を求め、真意を問うてきた。その果敢な精神に太鼓判を押したのが松岡校長だ。そんな相京さんに贈られた一冊には、花田清輝の楕円的視点が渦を巻く。


相京範昭さん 6期[守] 懐来さらさら教室 師範代

(文化教育研究所所属/東京都)
ISIS編集学校略歴:4期[守][破]学衆、6期[守][破]師範代、[破]師範、1〜5季[離]別当師範代、[離]方師


松岡正剛校長から相京範昭さんへの先達文庫
『復興期の精神』花田清輝 講談社・講談社学術文庫

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【内容紹介】ヨーロッパの文芸復興期を生きたダンテ、レオナルドらルネッサンス期の22人を語っているが、その執筆時期は戦時下(1941~1943)から敗戦直後(1946・1947)であることに注目したい。狂信的な天皇制国家主義という「真円」に対し、それへの抵抗を楕円として暗示している。転形期をどう生きるかを論じた名著である。

花田清輝:1909年福岡市に生まれる。京都大学中退。1974年9月23日没。著書に評論集『自明の理』(のちに『錯乱の論理』と改題)、『二つの世界』『アヴァンギャドル芸術』『近代の超克』、小説『鳥獣戯話』『小説平家』、戯曲『泥棒論語』『爆裂弾記』など。また『花田清輝全集』がある。

千夜千冊#472『もう一つの修羅』花田清輝 



                                                
いまこそ「転形期」を注視したい。


この先達文庫は2003年2月1日、西麻布で行われた6期[守]「懐来さらさら教室」の感門之盟においていただいたものである。わたしは2001年9月にイシス編集学校4期[守]に入門し、[破]を経て、翌年9月より教室を担当した。その期間をいま振り返ってみると、入門した9月に、あの「9・11同時テロ」があり、混迷を深めていた21世紀初頭の世界がガタガタと揺さぶられ、その混迷度に拍車がかかったことに気付かされる。言ってみれば、まさに現代の「転形期」といえる時期にこの『復興期の精神』と出会ったことになる。

その時代背景を考えつつ校長からのメッセージを重ねて綴ってみることにする。まず、先達文庫『復興期の精神』に書かれていた校長メッセージを披露したい。


懐来さらさら教室

六守師範代 相京範昭どの

◆酒と肴の稽古指南がユニークでした。
いろいろ手伝ってほしいな。
ダンテ、ゲーテのように。

ISIS編集学校
校長 松岡正剛


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松岡校長のメッセージが相京さんの「侠」に火をつけた

花田清輝は吉本隆明の論争相手として1960年代後半に初めて知った。その論争というのは、1956年から1960年にかけて「文学者の戦争責任論に端を発し、政治と芸術運動をめぐる」ものであった。

それについて、評論家の川本三郎は「若者が吉本隆明を支持したのは当然だった。文章も吉本隆明が直球型なのに対し花田清輝は変化球を駆使した。若者に受けるわけがない」(毎日新聞 2009年7月19日 東京朝刊)と書いているが、わたしも当然若者の一人として、吉本がいう「庶民」に立脚した立場からの戦線に位置していたため、花田の本は遠ざけていた。

●花田清輝は「しぶとさと動きの渦中」を重視

しかし、今回この本を読み、最近の花田への評価を読むと、ちょっと違った視点から考えている。まずは、花田への評価を少々案内し、わたしが『復興期の精神』を読んだ感想をまとめたい。


<花田清輝ルネッサンス・プロジェクトより引用>

久保覚が編集した『新日本文学』(1984年12月号)には、彼でしか引き出しえなかった骨太な花田論がある。関曠野の「ナポリとオペラと泥棒論語」である。関は、花田を、イタリア旅行から帰ったゲーテにパラフレーズし、マルクス主義者ではなく、快活な唯物論者として見事に描き出している。花田はゲーテと同様「行為することで不断におのれを超出し他者と世界と歴史のさなかで自由になる唯物論的人間」にほかならなかった。


<今週の本棚:花田清輝 生誕100年特集(川本三郎)より引用>
毎日新聞 2009年7月19日 東京朝刊
生前、最後の著書は、本阿弥光悦、日野富子、佐藤信淵(のぶひろ)らを描いた『日本のルネッサンス人』。取り上げられる人物は誰もが既成の価値や権威に背を向け、それでいてしぶとく生き続けたみごとな抵抗者だった。
花田清輝に影響を受けたという大庭みな子が書いているように「復興期とか転形期という言葉を好んで使った花田清輝は、すべてのものを静的なものではなく、動きの中で捕えた」(「花田清輝のヒューモア」)。

格好よく死んでゆくヒーローよりもしぶとく生きる道化こそ復興期や転形期の乱世にふさわしいとした。

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2009/07/20090719ddm015070030000c.html


ここでの花田の評価は2点ある。ひとつは「常に動き渦中を重要視したこと」、もうひとつは「しぶとい抵抗者を評価したこと」である。

●花田は楕円を理想とした

まず、『復興期の精神』の目次を読んだ印象から書いてみたい。ルネッサンス期の人物についての文章が並ぶ中で、「楕円幻想」(ヴィヨン)というタイトルが目に付いた。鶴見俊輔さんが解説「花田清輝論」を書いていることも興味を引いた。そこで、ダンテに関する「女の論理」を読み始めた。次いで、おおいに読み飛ばして一気に「楕円幻想」にむかった。楕円はわたしのお気に入りの発想だったからだ。

花田は二葉亭四迷を引用し、中心点が二つある「中途半端」を肯定した。


★二葉亭の『其面影』の主人公は、苦しげに呟く。
君は能く僕のことを中途半端だといって攻撃しましたな。成程僕には昔から何だか中心点が二つあって、終始其の二点の間を彷徨しているような気がしたです。だから事に当たって何時も狐疑逡巡する、決着した所がない。


戦時下において、真っ向から「真円」思想を批判するわけにはいかない。それで回りくどい言い方に終始しているが、ヴィヨンを評価する文脈の所で「転形期における分裂した魂の哀歓を、かつてないほどの力づよさで、なまなましく表現している」と書き、花田の心象に重ねていると読める。どっちつかずの中途半端こそ狂信的な天皇制国家主義への一つの抵抗の形だと言っているのだろう。「哀歓」という言葉には切実感がある。

そして、「変形譚」ではゲーテは徹頭徹尾「楕円」であったと言う。


★いかにもゲーテは楕円であり、つねに楕円であり、徹頭徹尾、楕円であった。

★かれの目には、森羅万象が、ことごとく楕円を描くものとして映っていた。変形もまた、むろん、楕円の一種である。すなわち植物の変形は、拡張と収縮の二つの作用を交互に繰り返しつつ、葉の変化してゆく過程にすぎない。


花田は、ゲーテの植物への周到な観察に心打たれると書いている。「拡張と収縮」は「ルソー以来、ユートピズムやアナキズム(拡張)→マルキシズム(収縮)→サンジカリズム(拡張)→ボルシェヴィズム(収縮)」と見て、敗戦直後の強権的「マルキスト」への批判ともなっている。そのことを指摘するのは解説の鶴見俊輔である。

以下、解説「花田清輝論」より引用。


★彼の理想は楕円である。

★戦争中に彼が、元マルクス主義者をふくめての、国粋主義陣営の真円主義者を相手として抵抗することを余儀なくされたように、戦後の彼は、左翼陣営内の真円主義者と論争せざるを得なくなった。
[風刺だとか、韜晦だとか、グロテスクだとか、-人びとは勝手なことをいう。誠実とは、円だけになって、楕円にはないもののような気がしているのだ。いま、私は、立ち往生している。思うに、完全な楕円を描く絶好の機会であり、こういう得がたい機会をめぐんでくれた転形期にたいして、心から、私は感謝すべきであろう。](「楕円幻想」)

★狂信者が[こう考える他ない]とつよく相手にうったえかけて、現実にたいするただ一つの視座に相手をしばりつけようとするのと対照的に、花田は[ああも見えるし、こうも見える]と言ってのらりくらりと見方をかえてみせることをとおして、現実にたいして人間のもちやすい固定した視座から相手を自由にしようとする。


花田清輝が言わんとすることは、この鶴見が指摘する言葉で尽くされているだろう。思えば、20世紀から21世紀にかけては「転形期」である。権力が狂信的な形で判然とする場合はおのれの位置も見えやすい。しかし、見えない場合はどうするか。わたしたちは歴史を辿り「分裂した魂の哀歓」に想いを寄せてみる必要があるということだろう。「自分が自分であること」をどのように考え続けるのか、それは容易なようでいてむつかしい。だから、かつての「転形期」を注視し、そこから学び取り続けることこそ現在は問われていると、わたしは校長の先達文庫のメッセージを読んだ。

それにはどうするか。ルネッサンスがまだ「円」であったなら、当然「バロック」である。多重・多層・多様な「楕円」の発想がわたしは重要だとあらためて思う。

●「ダンテ、ゲーテのように」とは何か

『復興期の精神』から読み取ったことは以上である。さて、それと「ダンテ・ゲーテ」がどう結ぶか、進んでみたい。

まずは、千夜千冊から。ただ、その前に私自身の編集学校との関わりと先達文庫とをクロニクルしておきたい。なぜなら、すべて連続的に関係すると思うからだ。

年月日 イシス編集学校 千夜千冊 社会情勢
2001/ 9/1 4期[守]入門   同時テロ(9.11) 
2002/ 3/11 4期[破]入門    
2002/ 8/3 先達文庫『道教の神々』(突破賞)    
2003/ 2/1 先達文庫『復興期の精神』(6期[守]師範代)    
2003/ 8/2 先達文庫『東京裁判』(6期[破]師範代)    
2003/ 12/26   #0913『神曲』(全3冊)  
 2004/ 2/24    #0941『神もなく主人もなく』(I・II)  
 2004/ 4/22    #0970『ヴィルヘルム・マイスター』(全6冊)  
 2004/ 7/7    #1000『良寛全集』(上・下)  
 2004/ 9    松岡校長手術、退院  
 2005/ 6/27 世界読書奥義伝コース[離]を始めるにあたり、別当師範代に名乗り出る    
2010/ 3/6   1季[離]スタート。以降、5季まで別当(玄黒院-蓮條院-万酔院-迅興院-耽像院)    
2010/ 6/1

 創立10周年

   

以上がわたしのイシス編集学校クロニクルである。

では、順を追っていこう。
まず、わたしが初めて校長からいただいた本は『道教の神々』だった。若いころからアナーキズムに関心を抱き、アナーキズムに共感を持って生きてきた人たちと多くの時間を共有してきたものの、その横文字のイデオロギーにもう一つ違和感を感じていたわたしにとっては、その後[離]を通じて、墨子や老荘思想や日本ナショナリズムを考えるキッカケともなっている。

『復興期の精神』は6期[守]師範代での先達文庫だが、次いで、その年の夏8月2日には6期[破]の先達文庫として『東京裁判』をいただいた。戦時下の花田が問うた個人としての「転形期」は、連合国という勝者が「敗戦国の個人」を裁くといういびつな形で処し、ここに「戦後日本国家」は出立したのである。いまだ、膨大な米軍基地をかかえていることはそこに根源がある。

そして、その年の千夜千冊の最後を締めたのはダンテの『神曲』であったことは、偶然だったと思うが、いま振り返ると必然のようにも思えてくる。

翌年2月には千夜千冊『神もなく主人もなく』ではこう書いていただいた。

「以上、今宵のささやかな黒色振動を、宝生能楽堂の五番五流能の夜に初めて出会ってロビーの片隅でアナキズムの断片を交わし、その後はつねに断固たるメッセージをぼくにもたらしてくれているISIS編集学校「懐来さらさら教室」の相京範昭君に、贈りたい」

そして千夜千冊の舞台裏を千夜終盤に向かう前に、どうしてもやっておかなくてはならないことがあったんですね。これこそは相京師範に向けての交響曲で、これまで千夜で秘めに秘めていた刀身をスラリと抜くという、とっておきです。いわずとしれた埴谷雄高・『神もなく主人もなく』・北一輝という究極コース。これに『野火』と『戦艦大和』を2夜連続で加えられたときは、自分でも泣けてきた。と黒色振動するラインナップを語ってくださった。

その春にはゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』があげられている。

ここで、「入門:9.11同時テロ→道教の神々→復興期の精神→東京裁判→神曲→神もなく主人もなく→ヴィルヘルム・マイスター」という「2001年~2004年」の流れを確認したい、そして、2004年には千夜千冊が『良寛全集』によって一区切りされ、翌年の[離]へつながっていった。

そうそう『良寛全集』には想い出がある。その千冊目が何か、ネットで予想を立てて当選確実だったにもかかわらず、当日朝になって紀貫之の「日本語計画」へ膨らませてしまってはずしたのだが、その予想は「淡雪の千夜予想」としてわたしは気に入っている。

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『復興期の精神』を中央に本棚を編集。「両脇は燠火の『冬の紳士』と三木成夫さん、敗戦とゲーテ。哀悼の多田富雄さん、胎児から老知へ。世の面影から忘れられた日本人へ。遠くに墨子。「無常」を武器に「越境」を闘争に。遊牧する経済圏で」

さて、ダンテとゲーテである。
ダンテの神曲について、千夜千冊で松岡校長はこう書いている。


★ダンテを語るにはこのベアトリーチェの存在を語らないでは、何にも進まない。

★そもそも『神曲』は叙事詩であって物語であって、歴史であって百科事典であって、またおびただしい数の人名辞典になっている。さらに『神曲』はフィレンツェの政治史であって国家理想をめぐる議論にもなっている。だいたいこの時代はフィレンツェもラヴェンナもナポリも、都市国家なのである。トスカナ地方だけでもいくつもの都市同盟が複雑にむすばれていた。国家理想といえば、このことだ。あるいはキリスト教の「神の国」のことだった。

★まずもってはっきりさせておかなくてはならないのは、ダンテはプラトンよろしく政治家をめざしていたということだ。それとともに、これもプラトンそっくりなのだが、フィレンツェを追放された挫折者でもあったのだ。死にいたるまでダンテは理想と挫折の懸崖にぶらさがっていた。

★『神曲』は魂の階梯を描いた長大な浄化の物語であるが、他方においては、この時代の同時進行的な社会宇宙論のためのプログラムだったのである。

★これが2003年最後の「千夜千冊」だということだ。なんだか大祓(おおはらえ)を思うのだ。


ダンテを考えるには「その時代の渦中で政治家を目指していたこととベアトリーチェへの想い」が肝心だという。現実の政治は、理想と挫折のただ中において人は常に翻弄され続ける。一方、ダンテにはベアトリーチェにたいする無上の愛があり、その浄化への道は必然だった。政治の「理想と挫折」と「聖なる少女への愛」。花田が『復興期の精神』をダンテの「女の論理」から始めた理由はここにあったのかも知れない。

「女」は生まれながらにして修辞的であるとする花田は、ともに抑圧されたものに属するイエスを借りて「あくまで修辞をもって武器と見なし、これをふるって、現実の変革のために果敢な闘争を試みた」としている。先に鶴見俊輔の解説でも引用しが、とかく男は狂信者として【これしかないと一本道を示す】、多様な軸を語るのは女であることは違いない。花田はそこを語ろうとしたのではないだろうか。

では、ゲーテはどうか。ちょっと長くなるが、千夜千冊から引用してみよう。ゲーテはワイマールという小国の宰相となった。
そして、千夜千冊ではこう続く。


★ぼくはなかでも、その「形態学」の着想と構想に惚れきったことがある。『遊』を創刊する直前のことだ。だから『遊』の第Ⅰ期にひそんでいる視線の一部は直接にゲーテから受け継いだものだった。・・《そのことをたちどころに喝破してくれたのは、芸大の三木成夫さんだった。第217夜を参照してほしい。三木さんはシュタイナーにならないゲーテ主義者だったのだろう》

★しかし、そのようなゲーテでも、この理想主義的活動の日々を抜け出さざるをえない日がやってくる。これが有名なイタリア旅行というものになる。

★二つだけあげるなら、「原」(ウル)と「変形」(メタモルフォーゼ)の概念を発見したことと、ゲーテ自身がヴィルヘルム・マイスターとして圧縮遍歴を体験したことだろう。ゲーテは「普遍」と「原型」を本気で探したのである。

★ワイマールに戻ったゲーテが、意外にも「寂寞」を思い知らされたということを、文学史家たちはどう見ているのだろうか。

政務から退き、交友こそ断たなかったものの、ひたすら「普遍の人間」であろうとしてワイマールの一隅に蟄居したことは、大才ゲーテの生きる計画のシナリオの、いったいどこにメモってあったことなのだろう。さすがにエッカーマンもこのことについては質問を発しはしなかった。おそらくはどこにもなかったシナリオが、ここで発露したのだとぼくは思いたい。それは、クリスチアーネ・ヴルピウスという造花の花売り娘にゲーテの情感のすべてが注がれたことにあらわれている。ゲーテは少女を引き取って、妻子とは別のちっぽけな擬似時空のようなものをつくりあげたのだ。ゲーテは前歴を捨て、栄光を脇に押しやり、少女に賭けたのである。‥《これがロリコンならわかりやすいけれど、そこがゲーテのとんでもないところ、やはりのこと、この少女を居住させた擬似時空体験は『ローマ哀歌』に昇華した。それもまことに格調正しい様式で》

★そもそもゲーテにおける少女とは何なのか。

★ゲーテにとっての少女とは、フラジリティの極北をあらわした。ぼくはそう考えている。『ファウスト』の最後に何が書いてあるか、知っているだろうか。
「永遠的なものは女性的なるものである、そこへわれらをひいて昇らしめよ」、だった。‥《このゲーテこそ、ぼくが最も信用しているゲーテなのだ。これがあるから、ゲーテはヴィルヘルム・マイスターになれたのよ》

★それは何かというと、この物語の主題は「諦念」であるということだ。‥《ようするに九鬼周造が「いき」とよんだもの》この諦念はゲーテがさしかかった19世紀が捨て去ろうとしているものである。ところがゲーテはこの偉大なる諦念をもって人間が遠ざかる真実に、たとえ一瞬でもいいから、夜陰にきらめく稲妻のような光を投げかけることを希んだのだった。‥《この諦念を日本語に訳せば「無常」というものだ》のちに『ファウスト博士』という作品も仕上げてみせたトーマス・マンは、こう書いた。『ヴィルヘルム・マイスター』がわれわれに告げているのは、個人主義的人道主義をいいかげんに捨てて、共働体で出会った者たちとの連帯をはかってほしいということだったのではあるまいか、というふうに。ヴィルヘルム・マイスターは一から十までドイツの凱歌であるが、これを読む日本人はゲーテを内村鑑三に引きこめばよかったのである。


「永遠的なものは女性的なるものである、そこへわれらをひいて昇らしめよ」。校長はこれが最も信用するゲーテだという。ダンテとゲーテに共通する「少女」。二人は長い時間をかけて思索し続け、ギリギリの所に自分という存在を追い込みつつ「生命」への思慕と思索を怠らなかった。そこには「少女」がいた。

もっとゲーテについては深入りしたい気もするが、今回はこれ以上、必要ないように思えてきた。ここで、九鬼周造と内村鑑三!

では、戻ります。

校長メッセージにある「ダンテ、ゲーテのように」を読み解こうと歩んできたけれど、うん、やはりそう簡単に解けそうもないし、白い闇の中で戸惑うばかりだ。しかし、ちょっと語ることが出来そうなこともある。内村鑑三の影響を受けてきた人たちのことを別な角度から書いてみたい。

わたしは、戦前のアナキストやアナーキズムに共感してきた人たちと20代から長くお付き合いしてきた。その中の一人が30歳前に出会った80余歳のアナキスト八木秋子だった。その聞き書きや農村での自治コミューンを夢みた運動の資料集を、30代から40代にかけて自主出版してきた。そして、いまもまとめ続けようとする意思を継続している(遅々として進まないのだけれど、「ISIS本座」でやれそうな気がしている)。そのことで少しは応えられるかも知れない。

ほとんど知られていないことだが、大正期のアナキストたちの中には、組合運動の傍ら、新内の岡本文弥の周辺にいて、習ったり謡ったりするような人々だった。彼らは江戸情緒や花鳥風月を知る人たちだったので、校長が『日本流』で野口雨情を語りつつ、「日本のアナーキズムには日本的な多様な一途がこもっている」と書かれている所を読んだ共感はいまでも忘れられない。
その直後だったこともあって、宝生能楽堂の五番五流能で(二日酔いで開演に間に合わず、しかし会場に入らず、誰もいない廊下の喫煙コーナーいた)、そこへやって来た松岡校長と初めて出会った時「よかったですよ、『日本流』!」と思わず語りかけたのは、その理由からだった。それが翌年秋の編集学校入りのキッカケとなった。

また、千夜千冊#0941 『神もなく主人もなく』で、「アナキズムは魂の起源の歴史そのものに宿っているはずなのだ。」という言葉にもわたしは強く共鳴した。彼らは、「これしかない道」から逸脱し、とはいえ、自由意思と感性の解放を精神の根底に置く「日本的な多様な一途がこもっていた」人たちであった。今回、彼らとゲーテの親密度が深いだろうとは予測できたけど、「転形期」における生き方において、「しぶとさ」というような点で、花田とに共通する点があって正直驚いている。あるいは、より根源的な「生命」や魂の起源に向かう精神性にもおよぶのかも知れない。

しかし、ここでもう一度先達文庫に戻ってみたい。ゲーテの末尾はこうである。「『ヴィルヘルム・マイスター』がわれわれに告げているのは、個人主義的人道主義をいいかげんに捨てて、共働体で出会った者たちとの連帯をはかってほしいということだったのではあるまいか」。そうだと思う。だから、共働体としての編集学校のことを話したい。

とにかく、編集学校はオモシロイところだ。教室では、年齢、職業、肩書き、家族のことなどは一切伏せてある。言って見れば、「サラ」の状態だということ。そこは権威が不在であり、共同知が生まれ、「場」が作られている。共働体と言っても良い。まさに創発を産むアナーキーな空間だとわたしは思っている。

わたしの教室名「懐来さらさら教室」の「サラ」も、そこに通じている。権威の不在である。そしてもう一つ意識したのは、ススキが風にそよいで触れ合う時、かすかに「サラサラ」と音がするような[ほどほど]の関係ということであった。つまり密着した真円でなく、多軸な楕円という関係が見えないだろうか。はい、確かに我田引水と言われそうだけれど、アイキョーはそう言い放ちたい。

いやいや、先達文庫と校長メッセージを追ってきたら、最後は「自分の編集学校との関係クロニクル」となってしまった。まあ、それも必然だろうし、この10年を振り返るよい機会となった。

混迷の時代はまだまだ続くに違いない。その渦中に居る時は見えないものがある。しかし「多様な一途」「もうひとつの日本」を問い続けながら、多様多軸の「楕円」の思想でもって、「日本の底荷」となる覚悟で歴史的現在を生きたいと思う。それにはまず、「共働体で出会った者たちとの連帯をはかっていく」ことなんですね。

みなさん、よろしゅう。 おたのもうします。

最後にもう一度、千夜千冊『神もなく主人もなく』の一節を加えて終わりにしたい。編集学校との出会いと校長への感謝の意を込めて。


いやいや、もう一度、われわれは遡及もするべきであろう。アナキズムは魂の起源の歴史そのものに宿っているはずなのだ。
そうなのである、アナキズムはマハーヴィラや葛洪にも芽生えていたが、実は一茶(第767夜)にも、一休(第927夜)にも、ずっと遠くの墨子(第817夜)にも、早々に突き刺さっていたはずなのだ。そうでなければ、われわれがこれほどにアナキズムの日々を懐かしくも熱く、激しくも清明に、思い出せるはずがない。


☆たとえ一瞬でもいいから、夜陰にきらめく稲妻のような光を投げかけることを希んで、連帯を!

以上。

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(写真)感門之盟の壇上で語る相京さん

(文・相京範昭)