2010.5.29   [レポート]
No.17『独酌余滴』倉部健治さん

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京都の進学塾で中学生たちの勉学を全力でバックアップしながら、イシス編集学校の編集活動にも余念がない。齢七十を越えてなお、倉部健治さんの向上心は衰えるところを知らない。そんな倉部さんに贈られた一冊は、多田富雄さんの名エッセイである。

倉部健治さん 
15期[守] 蓮條方舟教室 師範代

(進学塾講師/京都市在住)
10期[守][破]学衆、2季[離]離学衆、15期[守]師範代


松岡正剛校長から倉部健治さんへの先達文庫
『独酌余滴』多田富雄  朝日文庫

独酌余滴 (朝日文庫)

独酌余滴 (朝日文庫)

多田 富雄
  • 朝日新聞社

【内容紹介】能をこよなく愛する世界的免疫学者が、日本・世界各地を旅し、目にした人間の生の営み、自然の美、芸術、故白州正子との交友などを、深遠かつ端正な文章で描く。(2000年度日本エッセイストクラブ賞受賞)


 

酒と香のある文庫 


多田富雄さんの本を贈られたと知った瞬間、自分の手が小刻みに震えるのを覚えた。見開き頁に書かれた松岡校長の賀詞を読み、何かが身体を閃光のように走って、熱くなった。


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多田富雄さんの人生を絡めた松岡校長メッセージ

多田先生の『免疫の意味論』(青土社)を女房が読んでいた。あわせて、ぼくも多田先生の『免疫・「自己」と「非自己」の科学』(NHKブックス)を読んだが、「胸腺」に目が寄り、「T細胞」に目が開かれたものの、「自己」と「非自己」の交差するところと境界が見えてこなかった。

『独酌余滴』の「あとがき」に多田さんはこう書いている。「若いころは人も知る大酒飲みであったが、老来酒量も少なくなり、外で大騒ぎして飲むこともなくなった。でも病気にでもならない限り、晩酌は一日たりとも欠かしたことがない。」

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今宵も一杯の美酒に酔いしれながら盃のそばに本を置く

ぼくも、若いころは、朝まで酒を飲んで教壇に立ち夕べに帰宅して玄関に倒れこみ、古希以来も、“上善如水”にほろ酔いをたのしむ日が多い。松岡校長は私の「古酒数寄」をお見通しだったのであろうか。

今、机の上に多田富雄『独酌余滴』と白洲正子『風姿抄』(世界文化社)がお二人の共著『花供養』(藤原書店)をはさんでならんでいる。その『花供養』の“序 新作能「花供養」に寄せて”で多田さんはこう書いている。

―私は、しばしば死んだ人に会うために能楽堂に足を運ぶ。その能の主人公に会うためだけではない。能を見ているうちに、身近の死者たち、たとえば太平洋戦争で戦死した従弟や、老いて死んだ父や母、毅然といていた先生、若くして世を去った友人などの面影が、シテの姿に重なって思い浮かぶ。いい能に遭遇したときは、私の回想の劇中の死者も、切実さを増して蘇える。「鎮魂の詩劇」といわれる能の、もうひとつの効用である。

白洲さんが逝ってもう十年、ときどき無性に会いたくなる。寒い夜半に、一人で酒を飲むときなど、ふと声が聞こえるようで、身をすくめることもある。―

この文章もまた「匂いのある文章」である。「酒」の匂いがする。
複式夢幻能のシテに「問うて聞く」という「香」の匂いがする。

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上に白川静『字統』『遊』、下に『千夜千冊』机上に『花供養』

松岡校長 あらためて、ありがとうございます。

峠七坂 ここが半分路
機会をもとめ、能楽「遊行柳」に酔いしれてみたいです。

2010年4月21日『寡黙なる巨人』多田富雄先生が逝かれた。

静寂合掌

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(文・倉部健治)