■土屋満郎(迅興院)

What a Wonderful World
~この素晴らしき“離”の世界~


 ルイ・アームストロングが唱う夢・ウツツのような世界ではありません。もちろん“離”のその場には、木々の緑も美しい薔薇も愛もあります。しかし、開講した瞬間から突然のゲリラ豪雨に見舞われ、かみなりさまは轟きます。入院中は艱難辛苦、七転八倒、苦心惨憺。連打される稽古の圧倒的な質と量とスピードに打ちのめされる様は『ヨブ記』の世界のよう。立ち向かうには周囲の励ましも、カンフル注射も、深夜に至るカウンセリングも看護も必要です。
 けれども、世界読書奥義伝は、世界でただ一つしかない素晴らしき場なのです。読書という方法を駆使し、世界を再編集する知。院や離れで経験する情。そして、最後までやり遂げる意。類と個、部分と全体、自分と宇宙。迅興院と私、松岡校長と私、世界と私。全てを自己編集し、相互編集する。二度と経験することのない、桁外れで破格な世界。冒険心を携え飛び込めば、知・情・意の三位一体が見事に均衡する想像したこともないインプロビゼーションが待っています。
 退院後、現実・ウツに戻ってもインプロビゼーションは鳴りやみません。世界読書は即興であって、同時に、本来の編集的探求なのです。探求を捨て立ち止まることはありません。“離”こそ、パッサージュしつづける通過のコミュニティだったのです。What a Wonderful World!胸を張って言える、この素晴らしき世界へ、ようこそ。
■大武美和子(閃翔院)

松岡正剛校長という父なるもの・母なるもの

 「覚悟をもって当たられたい」
 3月1日正午、4離は松岡校長のメッセージで始まった。すぐさま送られてくる大量の文巻、それを受けての回答と指南の応酬を目の前に「ああ、大変なところに来ちゃった」の思いに呑み込まれた第一日目。いや、初日のみならず離の15週間常にこの思いは私を揺さぶり続けていたのだ。それはこんなにも揺さぶられることの不安から、ここでしか知り得ない知のシャワーを浴びる喜びとでもいったものに、徐々に変わってはいったのだけれど・・・。

 無差別の暴力と無私の愛を同時に与えることができるヒトという存在、底知れなく狡猾でありながら限りなく高潔にもなり得るヒトというあり方。こんな生き物である不思議と苦しさを私はたっぷりと呼吸した。
 この世のhereといつか帰っていくthereのアイダに放り出された私たち、何故こんなにお互いが懐かしいのだろう、分かち合えるのだろう。絶えず感じずにはいられなかった。
 こうして永遠の再回答、新たなお題を次々に抱え込んでいく私たちを、校長のメッセージは射抜くようでもあり駆り立てるようでもあり、そして最後に大きく包み込んだ。
 松岡正剛とは雲の上の知の巨人などではなく、確かに離学衆にとっての父なるもの・母なるものだった。

 全ての知に触れたわけではない。十分に理解できたわけでもない。私にできるのは宇宙の遥かから送られてくる音に耳を澄ますこと。そして、天地の理を察するにはあまりにも小さな存在であると思い知ること。

 こんな世界に自身をさらす覚悟ができたなら、もう始めずにはいられない。一生一度の離に向かって、さぁ火の元へビッグバン!

■赤松木の実(迅興院)

唯一無二の世界読書相伝の場

ためらう、迷う、躊躇する。
むべなるかな、松岡正剛直伝だもの。

怯む、怖じ気づく、気後れする。
ごもっとも、退院者の顔ぶれだって凄いしね。

すくむ、たじろぐ、二の足を踏む。
当たり前だ、平均睡眠時間3時間だなんて脅されると。

しり込みする、びびる、恐れをなす。
これも当然、お題の数が半端じゃないと聞けば。

それでも、あなたが編集という方法の深遠や、
アメーバのように多面体の世界知に触れたいと思っていて、
松岡正剛のホントのところの正体を掴みたいのなら、
「離」という「場」から逃げてはいけない。

ここで踏める場数といったら、まったく凄い。

絶え間ない知の修練場でありながら、ときに己と向き合う正念場も経験で
き、不足を思い知らされる愁嘆場もあり、生涯のなかのたった15週間で
あるのにもかかわらず長丁場であって、渦中では山場も、見せ場もたっぷ
りと用意されており、侠という言葉が妙に似つかわしい鉄火場の週がある
かと思えば、火事場の馬鹿力とはこういうことかと驚嘆させられ、またま
たあるときは別当・別番らの声援が飛び交うやっちゃ場と化し、のぞむな
ら修羅場も濡れ場もふんだんに演じられ、土壇場ではここぞの胆力が試さ
れたりもするわけで、言うなれば、もうこれは格別で!埒外で!法外で!
破格で!桁外れで!唯一無二で!エクスクルーシブな!「場」なのである。
なにしろ、「世界読書奥義」相伝の「場」だから。

最後にもうひとつだけ。
「一生の離」という。なんで、一生なのか。
退院の暁に、その理由はあきらかになるだろう。

「離」の年季は、一生明けない。

■広本旅人(閃翔院)

「着」と「離」を往還する世界読書奥義伝

 「着実」という言葉がある。手前を踏みしめながら一歩一歩、歩みを進めていくことだ。だが、世界の現状と万世の知識を前にして、その着実だけでは呆然と立ちすくんでしまうことがある。その「手前」すら分からず、何から手をつければいいのかが判然としなくなることがある。
 それならば「離実」というやり方があっていい。「離れて実する」という方法だ。<世界読書奥義伝>は、その方法への格別な分け入り方を教えてくれる。

 「離」はめまぐるしく進行する。言語、書物、図像、社会、経済、哲学、科学、なんでもある。だが、それらすべてに通底する「編集史」が垣間見えてきたとき、その知の数々は、決していまここにいる自分と乖離してはいないことを知らされる。そして、そこに立合っている自分は、遥か以前からの「世界読者」に他ならなかったことが見えてくる。

 ある四ヶ月を巡る「着」と「離」の絶え間ない往還。何度も開きたくなる書物がつねに持ち合わせているあの特質を、コネクティブなブレインが創り出す場ともに読み上げていく<世界読書奥義伝>。この逸格の現場で繰り広げられる「超冒険」への招電をぜひ逃さずに。
■ヤハギクニヒコ(迅興院)

熱き火種を抱いて遊星となれ!

ただ水のように生きてきました。

たまに逸れて、跳ねてみても、すぐに本流に流される日々。
たった12週間の永遠は、自分に、誰かに火をつけることを、
堪えぬよう風を送ることを、そして、
そんな土を作り耕すことを、身体の奥に刻み込んだ。

宇宙の暗闇を照らす松岡校長の火種、確かに受け継ぎました。

世界を背景にして、未来へ向かう方法を。
すべての悲しむべきことを、味方につけてしまうことを。
歴史の文脈に自分を、自分の文脈に歴史を織り込んでいくことを。

高速で複雑なスピニングフィールドで、
飛び交いはじめた知と、最初から飛び交っていた知。

世界読書の壮大な冒険の果てに、
本物の壮大が姿を現した!

その爆裂に飛び乗って、遊星は今、永遠を目指し始める。

今、目の前にある世界に、痛みを、孤独を感じるのなら、
覚悟して、「離」に飛び込むべし! そしてもう一度世界を見るべし!
世界が背景になったとき、重力から「離」れた想像力は、
ついに自由を手に入れるのだ!

一足先に、“むこう”で待っています。