黐の離・一生の離

                 翰林別当師範代・相京範昭

 「離」とは「隹(とり)が黐(とりもち)にかかる意、また黐から離れ去ろうとすることも離」と白川静さんは書いています。松岡正剛校長直伝「世界読書術奥義伝」の「粘力」は文句なしに強力です。ですから、「離」を修了し、離れ去ろうとする際、その「粘力」から離れる力も強烈でなければいけません。とてつもない「知力」が身体に沁み込むと言えます。
 「離」ではこれまでの知識をいったん捨て、「まっさら」になって邁進する必要があります。「離」を受講することに躊躇されている方、何かにこだわっている方は、すでに「離」にさしかかっているとも言えるのです。ただ、ここからが勝負です。「離」を掴むかどうか、この一瞬こそ一生の分節点なのです。チャンスです。「さら」になって校長直伝の知の大海原へ出立しましょう。大航海を終えた後には、「一生の離」という珠玉が手に入ることをお約束します。
 今、わたしたちが立っている現在を、問題意識をかかえて疾走し、ひとりの人間として遙かな「おさな心」を想い、人類の歴史を遡り、生命と宇宙の誕生に始まる壮大な情報の歴史に考えを及ぼしながらの、疾風怒濤の12週間が待っています。  「これまでの一生」と「これからの一生」が切実さを持って迫ってくる、それが「離」であるとわたしは思います。