[コース] ISIS花伝所OBI-1 │ 輪読座 │
輪読座

 

 編集工学研究所フェロー 高橋秀元が、輪読と図象ワークに
よって読書を促進する輪読座を開催しています。

 近年、読書が推奨されていますが、読みたくても読めない本があります。そのような難読といわれる日本の古典を中心に、輪読師である高橋のナビゲーションのもと輪読をします。

 予習や前提知識も必要ありません。図象(ずしょう)と呼ぶ高橋が構成した“概念曼荼羅”を介し、お互いに声を出しながら輪読する事で解読力が自然とついていきます。

 2014年秋開講の『伊勢物語』からスタートした「サテライト輪読座」。 全6回にわたる講座を動画共有サイトで生中継し、テキストで輪読座の進行を共有しながらサテライト参加者からのワーク・コメント・質問等を交えて進行。 各回の資料や課題共有はリアルの参加者と同じくWEB上のラウンジで行います。
  ぜひ、遠方の方や時間の調整が難しい方のご参加も、お待ちしております。

これまでの輪読座



バジラ高橋

高橋秀元

松岡正剛と共に工作舎を立ち上げ、オブジェマガジン『遊』を世に送り出してきたコアメンバーの一人。
日本の神々について独特の解読を進め、観念の技術をめぐり執筆を続ける一方、出版や日本文化・観光・都市の研究、地域振興や文化施設などのプランに携わる。
イシス編集学校で密教のヴァジラ(金剛杵)を冠した教室を開いたことから、「バジラ・タカハシ」が仇名になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

輪読座「井筒俊彦を読む」のご案内



輪読座 井筒俊彦の読み方をめぐって

 現在の日本のイスラム学の解説に“井筒俊彦を除いて”という文句が枕詞のように付せられていることにお気づきでしょうか。では“井筒俊彦を除いたイスラム学”とは何か? 欧米の立場から見たイスラム学、日本の立場から見たイスラム学、あるいはそういう色眼鏡を外してイスラムの歴史や現状に応じようとするイスラム学ということになります。
 それでは“井筒俊彦のイスラム学”とは何か? “意味論的”などとよく言われる言葉では説明がつきません。それはイスラム学という枠組を超えていました。井筒俊彦は“イスラムの本来”からギリシア、カソリック、プロテスタント、ユダヤ、ロシア、ペルシア、インド、中国、日本の本来を見つめ直し、その共通する根源をとらえようとしたといえましょう。欧米人が決してもちえないがゆえに世界が瞠目せざるをえない視点は、今こそ必要となってきました。

 読書というものは、どの立場からどの方向に何を見ようとして書かれているかが察知されれば読み進めることができます。輪読座はみなさんが読んで、それを聞きながら、それぞれが理解した内容を表現するためにあります。声にだして順次読見進めていくとどんな本でも予備知識なく読んで理解できるものだということが実感されることでしょう。その感想を語るまでが読書です。
 毎回の輪読に応じて図解で提供し、読書の加速の補助といたします。こうした補助もふくめた読書法を総合的に応用されるなら、どんなに面倒に思われる本でもやすやすと読めるようになるでしょう。そこで「輪読座 井筒俊彦を読む」に参加してくださるみなさんのために、ちょっとその素顔を紹介しておきます。これは井筒俊彦を読むための常識になりますので、少々長くなるかもしれませんが、それを乗り越えて二度とない「井筒俊彦の輪読」に参加してくださるよう、お待ちいたします。

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◎井筒俊彦の青春のはじまり

 井筒俊彦は大正3年(1914)生まれです。この年は巡洋戦艦「金剛」の発注にまつわる贈賄が絡んで政界を巻き込む一大疑獄となったシーメンス事件がおこり、明治の藩閥政治が終焉を迎えて大隈重信内閣が成立した年でもありました。辰野金吾設計による帝国の玄関というべき東京駅があらわれ、宝塚歌劇団が発足し、巷では芸術座のトルストイ原作「復活」が大ヒットし、“カチューシャの歌”にあふれていました。
 その安逸を破ったのがボスニアでオーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が、独立を求めるセルビア人青年プリンツィプによって暗殺されたサラエボ事件です。これを機にドイツ・オーストリア・オスマントルコ・ブルガリアの中央同盟国とイギリス・フランス・ロシアを中心とする協商国が戦った第一次世界大戦がおこりました。日本、イタリア、アメリカ合衆国も協商国側に加わって参戦します。大戦は1918年まで続き、この間、ロシア革命がおこってソ連が成立します。1918年11月、キール軍港の水兵の反乱にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は退位に追い込まれ大戦はようやく終結しました。日本はドイツ領だった山東半島を攻撃しドイツ領の太平洋西部、赤道以北の諸島群、いわゆる南洋諸島を獲得します。
 近代兵器用いて激突した悲惨な世界大戦の開始期、イギリス・フランス・ロシアが結んだ「サイクス・ピコ協定」にオスマントルコ帝国の分割が盛り込まれていました。今のIS問題・ウクライナ問題・アフガニスタン問題・パレスチナ問題などの起源となります。このような第一次世界大戦後の国際環境に井筒俊彦は青春を過ごすことになったのです。これは井筒俊彦の身の処し方とも関係してくるので、その推移がちょっと明らかになるようめぐっておきましょう。

◎中東分割とイスラム圏の混乱

 日本と西アジアのイスラム世界が遠いように感じるのは戦後の引きこもった日本人にすぎません。大正・昭和初期の日本人はアジア各地の独立の志士に親近感と強い支援の気持ちを持っていましたし、それらの国々からの亡命者を受け入れました。「サイクス・ピコ協定」によれば小アジア、イランはロシア領、アナトリアはフランス領となり、トルコやイランは消滅することになっていたのです。
 これは1923年、小アジアに成立したトルコ共和国がローザンヌ条約に調印したことによって現実化され、その余波はサハラ・北アフリカ・西アジア・中央アジアに及びました。ウクライナ、コーカサス、シベリア、中央アジアのイスラム圏のソ連編入が容認され、ソ連はイランを制圧しようとします。サハラ・北アフリカ・シリア・レバノン、アナトリアの領域がフランス、エジプト・ヨルダン・イラクがイギリスの勢力下に分割され、傀儡政権が立てられたり、直轄領とされたのです。チュニジア・ソマリアはイタリアの植民地となりました。

サイクス・ピコ協定による中東分割案

 この中東分割の結末が今のサハラ・北アフリカ・中東の不自然な国境に反映されているのはご存知の通りです。このときイギリスとフランスの共同統治領となったのがパレスチナで第二次世界大戦後にユダヤ人が入植してイスラエルとなります。
 トルコではケマル・パシャがオスマン朝を倒しトルコ共和国を樹立。バルカン半島を放棄しアナトリアを確保してローザンヌ条約によって戦勝国から独立国として認められました。アラビア半島はオスマントルコ帝国がヒジャース(紅海沿岸)を支配し、その中央部はトルコ帝国と同盟したハイール首長国が統治していました。これにリアド近郊の領主サイード家が挑戦し、第一次世界大戦の混乱に乗じ、協商国側の支援をえてオスマントルコを撃退。ハイール首長国を加えたサウジアラビア王国として独立します。
 ペルシアのガジャール朝は、「サイクス・ピコ協定」ではペルシアはロシア革命によって成立したソ連領となるはずでした。ところがイギリスがソ連の成立を見てガジャール朝に中立の立場をとらせ属国化をはかろうとします。第一次世界大戦直後、ペルシアのコサック師団将校レザー・パフラヴィーがクーデターによってパフラヴィー朝イランを樹立。イギリスを模した立憲君主制を導入し独立国と認められました。これはイスラム法学者の反発を招いたのです。

 アフガニスタン首長国はペルシアから自立したもののロシアの南下策に対抗するイギリスの保護国にされていました。第一次世界大戦直後、パシュトゥーン人のスルタン、アマーヌッラーハーンがイギリスに宣戦布告。第三次アフガン戦争をおこしアフガニスタン王国として独立し西欧化策を実行しました。ところがイギリスから資金や武器を供与されたタジク人指導者カラカーニーがカブールを占領し国王は亡命。1929年、国外にあった国防相でスーフィー教団の指導者ムハンマド・ナーディル・シャーが帰国して反乱を鎮圧しイスラム法を基盤する憲法を制定します。その後も反パシュトゥーンの部族勢力にイギリスとソ連が武器供与する暴動誘発の介入は止まず、その余波は2001年にはじまるアフガン紛争におよびました。
 アフガン紛争は過激なジハード主義を拡散させ、「サイクス・ピコ協定」の否定を“正義”とするISを生み出し、その“正義”がネット上に拡散する事態となっている。これに反論する“正義”はいわゆる国際社会にないわけですから、それを経済力と武力で鎮圧するしかない。かといってISなどに事態を打開できる方策はなく、“イスラムの本来”を棄てた恐怖を演出する稚拙に止まっています。こうした事態にいたることを知ってか知らずか、井筒俊彦はイスラムの世界像に近づいていったのです。

◎昭和初期の「イスラム・ブーム」の中で

 第一次大戦後の中東分割の過程に帝国日本は反応しました。昭和8年(1933)、イスラム学会が創立され、翌年に神戸モスクが完成。昭和12年(1937)にはソ連のイスラム教徒弾圧によって亡命してきたトルコ系タタール人のモスクとして東京回教学院(現在の東京ジャーミィ)が創建され、その初代イマーム(モスクを守る神学者)として招聘されたのがアブデュルレシト・イブラヒムでした。これにともなって昭和13年(1938)、日本回教文化協会が創立されています。そこに「イスラム・ブーム」がおこりました。

  (左)在りし日の東京モスク
  (中)東京回教学院(解体されトルコ文化センターとなる)
  (右)現在の東京ジャーミィ

 アブデュルレシト・イブラヒムは西シベリアのトボリスク県タラ郡のブハラ系タタール人のウラマー(地方のモスクの法学者)の家に生まれメッカ、メディナに留学。ロシア初の公的なムスリム組織オレンブルク・ムスリム宗務局のカーディー(イスラム法の裁判官)に任命されました。しかしイブラヒムはロシア政府のムスリム抑圧策に反対しペテルブルクでタタール語の新聞を刊行。ロシアのムスリムの政治参加を説いてロシアムスリム連盟を結成します。
 ニコライ2世のもとに成立したストルイピン政権は非ロシア人の政治活動を弾圧。1908年、イブラヒムはロシアを脱出し、満州、日本、李氏朝鮮、清、シンガポール、インドネシア、インド、ヒジャースをめぐり、イスタンブールで旅行記『イスラム世界』を刊行しました。

アブデュルレシト・イブラヒム

 その大旅行で最も歓迎されたのが日本です。イブラヒムは大隈重信に面会して時の人となり、イスラム教徒が団結して欧州列強に対抗しようとする汎イスラム主義の講演を日本各地でおこないました。そこに日本初の回教徒とされる大原武慶陸軍中佐を会長に「亜細亜義会」が結成されます。その発起人にイブラヒムは孫文の辛亥革命やフィリピンの独立運動を援助していた犬養毅、自由民権論者の河野広中、アジアから欧州勢力を排除する活動をしていた玄洋社の頭山満や黒竜会の中野常太郎とともに名を連ねています。
 アブデュルレシト・イブラヒムは大旅行の帰路にユーラシア騎馬横断で有名な福島安正の指令を受けた山岡光太郎とボンベイで落ち合い、コーランを教授してメッカに巡礼させています。山岡光太郎は中東、北アフリカをめぐり、第一次世界大戦を観戦して欧州、中東分割の実情を日本に伝えました。イブラヒムが著した『イスラム世界』はイスラム圏のベストセラーとなり、日本が中東諸国から尊敬される一因となったのです。

 アブデュルレシト・イブラヒムはトルコ国籍をえてイスタンブールを拠点に汎イスラム主義をとなえる言論活動をおこない、第一次世界大戦中にドイツの捕虜となったムスリムのロシア兵を募って「アジア大隊」を編成。アジア大隊はメソポタミア戦線に協商軍と戦いました。しかしオスマントルコは敗れ、新たに成立したトルコ共和国に冷遇されたイブラヒムは東京回教学院のイマーム就任の招聘を受け、これを承諾したのです。このアブデュルレシト・イブラヒムが井筒俊彦のイスラム学の師となります。そこには人種、部族、国籍、宗派をこえて精神の高みによって連帯しようとする汎イスラム思想が横溢していたのです。
 戦後日本は戦中のイスラム支援を忘れ去ろうとしました。井筒俊彦は日本を離れイラン王国のテヘランに活動拠点を移します。井筒俊彦の師であったアブデュルレシト・イブラヒムについても戦後日本のインテリはその名さえタブー視し、“シベリアトルコ系タタール人”などと記すのみの記述もあって否定的に扱われ、オスマントルコの再来を願う大トルコ主義に利用されたとする記述も多くみられました。現在では、アブデュルレシト・イブラヒムの思想、活動はソ連崩壊後のロシア、中央アジア諸国において再認識され高い評価がなされ、日本でもそれを追認するシンポジウムが開かれるようになってきはじめています。

◎世界に活動の場を移した井筒俊彦

 井筒俊彦がぶどう酒の神ディオニソス神話からギリシアの神秘哲学を解き明かした『神秘哲学』はオイルマンであった父、井筒信太郎に捧げられています。井筒信太郎は在家の禅の修行者であったようで坐禅や公案にうちこんで、少年井筒俊彦もそれに倣ったという。井筒俊彦が“神秘”というとき、それは生まれながらに束縛された自我を滅して超越した精神状態にいたることを意味し、その基盤が禅にあったことを念頭におかねばなりません。
 それが何の因果か、井筒俊彦は青山学院中等部に入学し、キリスト教の神への礼拝に嫌悪して嘔吐さえしたといいます。欧米の牧師の言葉は人間と自然を峻別するばかりか、キリスト教が人間に持つべきとした規範さえ欧米諸国の行動を規律しないことに反応し虚言と感じたからでしょう。そのようなところから井筒俊彦の「コトバ」への独特な感性が生じたようです。
 慶應義塾の経済学部予科では、同級に国文学者になる加藤守雄や池田彌三郎がいたというから奇妙な取り合わせです。井筒俊彦はそれに共感を示したようですが、日本のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の旗頭になっていた英文学の西脇順三郎博士に憧れてその文学論に私淑します。
 このころ大学が密集する神田に大学入試や大学の授業の補習をする“夜学”がたくさんありました。そこで先生をしていた小辻節三から井筒俊彦はヘブライ語を学んだという。小辻節三はリトアニアの領事館に赴任していた杉原千畝(ちうね)の「命のビザ」を引き継いで多くのユダヤ人難民をホロコーストから救う人物になります。そこに内村鑑三の日本基督教の薫陶を受けた関根正雄がいてドイツからアラビア語の教科書を取り寄せてアラビア語を習得しました。『旧約聖書』の翻訳者として知られた関根正雄は井筒が一度に10カ国語を学んだと記しています。
 慶応大学の助手となった井筒俊彦は、ラース・ビハーリー・ボースのようなインド独立の志士をかくまった義侠、あるいはルドルフ・シュタイナーの紹介者にして『コーラン』の翻訳者、大アジア主義の“はみだし者”でもあった大川周明の依頼を受け、東亜経済調査局や回教圏研究所でアラビア語文献を読破しイスラム研究を本格化します。このとき井筒俊彦にイスラム神秘主義の本質を説いたのがアブデュルレシト・イブラヒムでした。イブラヒムは終戦直前に亡くなり多摩霊園に眠っています。
 昭和21年(1941)、井筒俊彦は『アラビア思想史』、3年後に『神秘哲学』を出版します。これに反響はなかった。ところが英文著作『Language and Magic』をロシア・フォルマリストのローマン・ヤコブソンが評価し、その推挙でロックフェラー財団のフェローとして日本を離れ、カナダのマギル大学客員教授、マギル大学イスラム学研究所テヘラン支部教授、イラン王立哲学アカデミー教授を歴任。昭和42年(1967)にユングやエリアーデらが参加する「エラノス会議」に招聘され、鈴木大拙に次ぐ二人目の日本人正式レクチャーとして、15年間ほぼ毎日、老荘や禅、儒教など東洋哲学の講演をしたという。これを知る日本人はほとんどいなかった。
エラノス会議で講義する井筒俊彦

◎日本語の著作再開

 昭和54年(1978)、イラン革命がおこります。イラン国王パフラヴィー2世は石油を国営化し、ソ連の影響を除き、秘密警察サヴァクを動かして左右の反体制運動を取り締まり、開発領主としての地位を獲得しました。戦後の日本の経済成長を手本に石油の輸出でえた外国資本とアメリカの経済援助を元手に白色革命に着手します。土地改革、国営企業の民営化、労使間の利益分配、婦人参政権の確立、教育の振興、農村の開発などの改革を実行したのです。
 そこに表裏があって政治腐敗、極端な格差が広がりました。その政策はオイルショックによって破綻し国民の多くが窮乏する事態を招きます。ここに米ソ冷戦がからんで国外に亡命していたイスラム法学者ホメイニーの指令にソ連の息がかかったトゥーデ党などの勢力が加わり全国的なストライキ、デモ、暴動が勃発しました。国王は海外に亡命。帰国したホメイニーはイラン・イスラム共和国の樹立を宣言し終身任期の国家指導者となったのです。

 イラン革命に井筒俊彦はパリに拠点を移しました。その後、68歳にして日本に帰国し日本語であたためてきた哲学を著述しようと決心し慶応大学名誉教授に迎えられます。帰国後執筆しはじめ、2年後に脱稿したのが『意識と本質-精神的東洋を索して』です。この「索」には思い入れが感じられます。「索」はスーフィズムの自己認識過程と自己再構築過程にあたる「サフウ」の翻訳語「索面」からきています。それに第一・第二の索面があり、“第一の索面”は自然環境・社会環境・文化環境に育てられた自己を認識する過程です。それは「我思うゆえに我あり」ではない。“思う”ことがすでにさまざまな条件によって規制されている。そのために規制された自己条件にあいそうな「正」とあいそうにない「反」を生じるだけで「合」が出せない。近代はその場、その場で生じる「正」と「反」を戦争か、経済的利害か、多数決をもって選択してきただけで一度たりとも「合」にいたったためしがない。
 そうだとすれば、生まれたときから自己が背負った因果を解き放つ過程が必要となる。これが“第一の索面”です。スーフィズムでは“第一の索面”は自己から解放された忘我状態「スクル」にいたるとします。そこから自由をえた“第二の索面”が生じ、未来を切り開く創造による「合」の実践に向かわせるとします。この手順を基礎に読めばおのずと井筒俊彦の難解がほどけてきます。そこに西欧神秘学、禅、老荘思想、西田哲学などが重ねられても動じる必要はありません。むしろ、それらも読み解けるようになる。これはある意味、お得な本です。 “第二の索面”において新たな方法がつむがれる。そこで3年がかりで『意味の深みへ-東洋哲学の水位』が書かれました。これは“第二の索面”に出ようとした方法の模索です。その入り口にさまようユダヤ伝統のジャック・デリダ、その方法に気付いたスーフィーの哲学者、実践に移した空海などが論じられ、その言語構造を模索しながら捉えきれないソシュール言語学、方法を言語的に構造化したイスラム神秘哲学、方法を語る言語体系の完成への道を開いた唯識学・華厳学へと進み、これらを禅および西田哲学の方法に照らして未来を構築する思索の方法を築くときがきたとします。

 このような方法に気づいたのが神秘主義で、超常的実在を仮構することによってそこから発せられたとされる啓示言語、いわば直観言語が“第一の索面”を崩壊させ、“第二の索面”に再構築されるとしました。その歴史を追ったのが『超越のことば-イスラーム・ユダヤ哲学における神と人』です。「ヨハネ黙示録」を最後の預言とし現在的な預言を異端とするのが西欧キリスト教、現在的な啓示を容認しているのがユダヤとイスラム、その預言が既存の自己崩壊による普遍意識の顕れをもたらすとするのがイスラム神秘主義としています。人間の言葉をはじめあらゆる動植物の気配、自然のどよめきを啓示とするのがインド哲学で、超普遍言語系による世界像を “マーヤー的世界像”とし、それは仏教に入って真言密教となるとしました。
 最後に書かれたのが『意識の形而上学-『大乗起信論』の哲学』です。『大乗起信論』は松岡正剛校長の「千夜千冊」の長尾雅人訳注『維摩経』や三枝充悳『大乗とは何か』などに位置づけがされていますから言及するまでもないでしょう。短絡的に言えば、4世紀初頭、五胡十六国時代がはじまって、それまで周辺の民族を抑圧して持続してきた中華秩序が崩壊し、およそ100年にわたって多くの血統・社会・文化が異なる民族集団が血で血を洗う抗争を続けました。そこに紀元1世紀から2世紀ころに鋭く対立するバラモン教と仏教を往来したアスヴァゴーシャ、漢語では馬鳴(めみょう)が編集した『大乗起信論』が漢訳されました。あるいは馬鳴の名声を借りた多民族の思想集団がもとの『大乗起信論』を4世紀の悲惨な五胡十六国の動乱の実情に合わせて漢語で再編集したのが東アジアの大乗仏教の基盤となった『大乗起信論』であったということです。
 これはスーフィズムの“第一の索面”にあたる実経験に形成された自己を滅して人類の記憶の堆積というべきアラヤ識にいたり、そこから“第二の索面”にあたる自由な思索をとりもどして未来を創出する次元に総転移するとします。井筒俊彦は『大乗起信論』を基盤に世界の思索を総合し、将来を創出する哲学を再構築すべきだと遺言して世を去りました。

◎「輪読座 井筒俊彦を読む」では何を読むのか

 「輪読座 井筒俊彦を読む」では井筒俊彦が最後に残した四大著作を読み切ることはできません。また、現在出版されている井筒俊彦の単行本のどれをとっても井筒俊彦の全貌を見晴らすことは不可能です。
 そこで井筒俊彦が世界を再構築するための部分を構成する小論の主要部分を抜粋し、1回に2篇から3篇を平行読みすることによって、部分が全体に照応するという華厳の理念を意識しながら、参加してくださるみなさんが井筒俊彦の残した四大著作を読破できるようにいたしたく思います。そのために下記のようなテキストからなる6回の輪読を暫定的に考えています。暫定的にというのは声を出して読める量、並列読みするテキストの相性などによって少々の変化があるかも知れないということです。
 いずれにしても、「輪読座 井筒俊彦を読む」に勇気をふるって参加されるみなさんは前代未聞の「井筒俊彦ワールド」を善財童子・善財天女となって高速巡礼の旅をすることになります。こんなスピリチュアルな大旅行は二度とありません。案内係は編集工学研究所のフェロー・高橋秀元がつとめさせていただきます。


  第1回 放棄されたヨーロッパの本来をめぐって
   「神秘主義のエロス的形態―聖ベルナール論」
   「トルストイに於ける意識の矛盾性について」
   「デリダ現象」


  第2回 イスラムの本来と啓示作用・存在認識の方法
   「本質直観―イスラーム哲学断章」
   「アヴィセンナ・ガーザーリー・アヴェロエス「崩落」論争」
   「モッラー・サドラー『存在認識の道―存在と本質について』解説」


  第3回 決して「我思うゆえに我あり」ではない
   「TAT TVAM ASI (汝はそれなり)」
   「事事無礙・理理無礙―存在解体のあと」


  第4回 言語は創造によってリアリティを持つ
   「文化と言語アラヤ識」
   「意味分節理論と空海」


  第5回 “「無」的「有」”が自由を開く
   「禅的意識のフィールド構造」
   「いま、なぜ「西田哲学」か」


  第6回 光より来たりしものは光へ
   「テクスト「読み」の時」
   「マーヤー的世界認識」
   「『意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学』後書き」より

                           輪読師・高橋秀元



輪読座・参加者の声
輪読座でなければまず一人で読むことがない書籍ですよね。
図像含め横へ広がる話がとても刺激的です。
手の付けにくい本でもみんなで読むと読めてしまう。
これは予想以上に面白く続けたいです。
図像ワークもチームでやるので、コツが少しずつわかるようになり、理解が進みました(教えてもらえます)。
読みを深め、内容をイメージすることが、この場に参加しなければ絶対できなかったと思います。

募集要項

講座名 輪読座
「井筒俊彦」を読む
日時 4/26(日)13:00~18:00
5/31(日)13:00~18:00
6/28(日)13:00~18:00
7/26(日)13:00~18:00
8/16(日)13:00~18:00
9/27(日)13:00~18:00 (終了後、修了証書授与・懇親会)
場所 編集工学研究所 世田谷区赤堤2-15-3
1F ブックサロンスペース「本楼」
定員 限定30名※定員になり次第、締め切らせていただきます。
申込

◎リアル講座:6回分 税込価格 54,000円(本体価格 50,000円)
         ※クレジットカードがご利用になれます。(分割払い可能)
    ※記録映像データ、資料などは欠席された場合、お渡しいたします。

申込み

 

◎サテライト講座:6回分 税込価格 32,400円(本体価格 30,000円)
         
※クレジットカードがご利用になれます。(分割払い可能)

申込み

お問い合わせ先 03-5301-2213(直通)
front_es@eel.co.jp
受付時間 AM10:00~PM6:00

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