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電縁都市ふじさわ市民記者養成講座を修了したみなさんです。
 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 87
「羽が生えて、飛んでいく」
2010年9月2日

暑い日が続く。気象庁の統計によれば、藤沢市辻堂での2010年8月の平均気温は28.2度、最高気温は36.7度だったそうだ。これは藤沢市辻堂での観測史上、一番高い記録だという(2010年9月1日現在)。
例年あまり冷房をつけない我が家だが、今年は観念して冷房のスイッチを入れた。電気に、お金に、羽が生えて飛んでいく。
あまりの暑さに、屋外で虫を探す機会も少なかった。その点、玄関先で飼っていたアゲハとトンボの羽化はじっくりと見ることができた。

アゲハの幼虫はさなぎになる直前、どういうわけかせっせと歩き回るように思う。それまで気が向いたときに葉を食べ、うつらうつらしていた幼虫が食べるだけ食べた、後はさなぎになるだけ、となるとがぜん勢いづいて歩きだす。さなぎになる前に安全な場所を見極めようと、必死なのだろうか。
道路をはっていた終令幼虫。焼けたアスファルトの上、はだしで暑くないのかな?
犬猫のためには、真夏の散歩用に肉球保護クリームなるものが売られているらしい。幼虫の動きが機敏だったのは「あちちち」、と小走りだったのかもしれない。

     
   
 

アゲハ

 

こちらはトンボ。玄関先にメダカの水槽を置いておいたら、いつのまにかヤゴも住みついていた。身軽なイトトンボはウキクサやハスの葉の上によじ登って次々に羽化していったが、彼には垂直な棒が必要らしい。しばしば水面に顔を出すようになったので、羽化用の容器を用意。

     
   
 

手頃な棒で羽化

 

色がついたのを見れば、オオシオカラトンボのメスだったらしい(「彼女」だったのか)。またおいで。

     
   
 

オオシオカラトンボのメス

 

[ご参考]
気象庁 「過去の気象データ」
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php

 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 60
「江の島灯篭まつり」
2010年9月1日

江の島灯篭まつりに行ってきました!このお祭りは今年で3回目になるのですが、私は今年初めて見に行きました。年々規模が拡大されているようで、今年は8月3日から29日までの27日間に延長。灯篭の数も1000基以上と大幅に増えたそうです。

江の島入り口の鳥居付近から参道、江島神社と、大小様々な灯篭が、幻想的な光と影を映し出しています。絵柄は、江の島の伝説「天女と五頭龍」にちなんだものか、龍を模ったものが多いように感じました。

     
   
  参道の灯篭  
江の島鳥居近く参道に並んだ灯篭です。柔らかな光で私たちを迎えてくれます。
     
   
  石畳の灯篭  
江の島の石畳、灯篭の光で昼間とは違った姿を写し出していました。

サムエルコッキング苑では、清水寛子さんの作品が展示されていました。清水寛子さんは、主に白黒を基調とした影絵などのアニメーションを、空間や物に投影した作品を製作しているアーティストです。
     
   
  清水寛子さんの作品(その1)  

昆明庭園の東屋を大きな灯篭に見立てた作品です。ミッキーマウスの手が自在に動いて、手を振ったり、お手玉をする不思議な影絵。中に入って自分も影絵の一部になれる参加型影絵です。童心に帰って影絵を作ってみました。

     
   
  清水寛子さんの作品(その2)  

コッキング苑の遺構の中に立てられたオブジェに影絵を写した、メルヘンチックな作品です。清水さんの感性が光る、ユーモアと温もりのあるとても素敵な作品です。

     
   
  灯台と影絵  

灯台の前に昔ながらの障子に影絵を映し出して遊べるブースがありました。子どものころ、家の障子に向かって影絵を作って遊んだことを思い出し、さっそく影絵に挑戦!さて、障子に映った動物は何でしょう?

     
   
  灯台と灯篭  
こうして見ると、灯台も大きな灯篭ですね!!
 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅125
「藤沢素描(19) 神奈中バスさん ありがとう!」
2010年8月31日

【神奈川中央交通バス】
神奈中バスは、三浦半島、箱根、足柄を除く県下の全域を運行している。
免許キロ:2144km 輸送人員:2億2,326万人 売上高:約400億円
(以上平成21年度・・いずれも<乗合バス事業>のみの数字)。
私たちの日常生活に欠かせない交通手段で、私も利用することが多い。

     
   
  藤沢駅北口バスターミナル  

最近、神奈中バスでとってもステキな若い運転手さんに巡り合った。
バス停でドアが開くと、マイクの声が外に聞こえてきた。
「大変お暑い中お待ちどうさまでした」・・これを各駅でアナウンス!
走行中の案内も確かで親切だった。途中駅や終点の藤沢駅でも、降りる人
一人ひとりに声をかけている。
「有難うございました・・行ってらっしゃい・・行ってらっしゃい!」
運転手のマニュアルには無いだろうけど、近ごろには珍しい情景だった。

     
   
  学校前踏切  

JR東海道線 藤沢駅から1kmほど辻堂寄りの、日本精工(NSK)付近に
「学校前踏切」がある。この踏切を利用する車は終日多い。
私は自転車で藤沢に出るとき、鵠沼小学校からNSKの方に行く途中で
この踏切を渡るのだが、線路を渡り切った後が実に危険なのだ。線路と
NSKの間の道路、横断歩道に信号が無く、辻堂方面から来る右折車などで
直進車が見えない時が多い。いつもヒヤヒヤして横断歩道を渡っている。
私が神奈中バスに感謝するのが そんな時だ。神奈中バスはいつも横断歩道
の手前で停車してくれているので、安心して横断歩道を渡れる。「安全運転」
「法令順守」が徹底しているのだろう。

鵠沼小から普門寺のあたりで、時どき一人のおばあさんに行きかう。
おばあさんは右手で杖をつき、歩幅が狭くせかせかと歩く。いつもレジ袋
をさげて道路の中央を歩いている。
いつかのこと鵠沼小の方からNSK方面に踏切を自転車で渡り終えると
おばあさんが杖もレジ袋も放り出して、踏切わきの狭く草深い土手にお尻
をついて茫然としているように見えた。私はおばあさんが、車が多く横断
歩道を渡れないのかな・・と思った。自転車を降りて、おばあさんに声を
かけた。そして前後に指で方向を示して、前の横断歩道を渡るのか、或い
は後方の踏切を渡って鵠沼小の方に行くのかと尋ねた。もし道路を渡ると
いうのなら、走行車を止めて、渡るのを お手伝いしようと思ったのだ。
おばあさんは線路の方を指差した。なんだかこの辺は芥川の短編にでも
出て来そうな話ではないか!湘太もまだまだ捨てたもんじゃない!
 そこで私は安心して、自転車でNSKの方に渡ろうと振り返ったら・・
横断歩道の手前で、辻堂方面からの車が1台止まっていて、若い青年が
ハンドルに手をかけてこちらをじっと見ていた。多分私たちのやりとりの
一部始終を見ていてくれたのだろう。私は有難うと手をあげたら、青年は
一つうなずいて車を発進させたのだった。

http://www.kanachu.co.jp/

     
   
  神奈中バス ツインライナー  
 
市民記者 No.104 影法師
 
■コラム:道連れ
「花会式 (修二会薬師悔過法要)」
2010年8月25日

二月にNHKで再放送された「あの人に会いたい」で高田好胤さんの法話を聞いて今年は薬師寺の花会式にお参りしようということになった。

     
   
     

花会式は約九百年まえ、時の堀河天皇が、皇后のご病気平癒を薬師如来に祈願されたところ本復され皇后は感謝の心を十種の造花にこめて、年ごとの薬師寺修二会に供えられそれが今日まで伝わっている。

     
   
  本堂に供えられた造花  

毎年3月30日から4月5日までの奉納行事である。私たちは、茶道と香道を習っている仲間なので献香式(4月1日)と献茶式(4月2日)にお参りした。小雨の降る寒い中ではあったが心が洗われた気がした。仏様の喜ぶ物として灯り、花、香と聞いている。
昔は、人が亡くなると仏様になると信じお香を持参して焼香し仏様に届けていたのが、何時の頃からか香典として御金を包むようになったと聞いている。最近は、煙の出ないとか、匂いのしない線香が出始め、形式だけが
残っている。

今年から十年かけて東塔は修復工事に入る。その間は被いにおおわれてその姿を拝むことができない。

     
   
  雅楽奉納 背景は東塔  

修復には33億円かかるが国からは7割しかでないので10億円足りないということで、御写経による寄付を募っていた。国宝 東塔大修理特別写経(全十組二十巻)は『舎利礼文』を一組につき二巻書写し一巻は東塔内に奉安もう一巻はお釈迦様の聖地に納められる。
私たちは、花会式に参加できた、感謝を御写経で納めさせていただくことにした。私は、毎年一組づつ納めたいと願っている。大勢の善意で東塔が修復され後の世にこの姿を残せたらと思う。そして十年後元気に東塔を拝みたい。

何年か前、藤沢公民館で高田好胤さんのお嬢さん高田都耶子さんの講演がありました。当時の館長さんがラジオ放送を聞いていて是非お願いしたいということでしたが、予算が少ないのでダメモトで連絡をしたら快く引き受けて下さったと聞きました。
それは、お父様が薬師寺修復を大勢の善意によってということで百万巻写経をお願いして全国を巡ったお話でした。雨漏りしていた本堂で仏様が泣いているというお話を私は修学旅行の時、聞きました。この会にはお話を聴いたことのある方が沢山集まっていました。

日本には、沢山の世界遺産があります。それは全て、前世の方が遺してくれたものです。

 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 86
「世界一大きい金魚すくい」
2010年8月17日

噂には聞いていた。藤沢にはギネスにも載った世界一大きい金魚すくいがあるのだと。
場所は藤沢駅北口の商店街、サム・ジュ・モール。今年2010年は8月1日に行われた。

     
   
 

シンボルの金魚ちょうちん

 

神奈川新聞のサイト、カナロコ8月1日付け記事「世界一長〜い金魚すくい、商店街に子どもらの歓声/藤沢」
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1008010030/ によれば、今回の金魚すくいの規模は
水路の長さ:63メートル(ギネス認定時は100mあったそうだ)
金魚:4万5千匹
メダカ:1万匹
ドジョウ:2千匹
だそうだ。

[水路が長すぎて困らないかな?]
 世界一大きい、この場合水路が長い、と聞いて不思議に思っていた
 ことがある。道路の真中に水路を設置するとして、道路を横断したい
 と思ったらどうしたらよいのだろうか。商店街のこちらからあちら側
 に渡るのには、世界一長い金魚すくいの水路を迂回しなければなら
 ないのだろうか?
 その疑問を解消すべく、現地に向かった。
 見ると長い金魚すくいの水路には、人が行き来できるよう橋がかけ
 られていた。君の名は・・

     
   
 

その名もきんぎょ橋。
下の小川にはメダカの群れが描かれている。

 

[すくったあとは?]
 金魚すくいを主にしたお祭りだけあって、持ち帰り用に酸素入れ
 コーナーがあり、えさや水槽を売っているところもあった。
 すくわれた魚たちの幸福を祈ろう。

     
   
 

 

 

道路が人のものから車主体のものになって久しい。
この商店街で週末ごとに行われていた歩行者天国は、今年の春で終わってしまった。なかなか道路をそぞろ歩きできない今、このようなお祭りはぜひ続けていって欲しい。

[おまけ]

     
   
 

これまた世界一

 

「世界一長いキャラクター」って誰なのかと思ったら、
これまた水路が長いヨーヨーすくいなのだった。

     
   
 

キャラクターが表面に印刷された
水風船様のものを
キャラクターヨーヨーというらしい。

 
 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 85
「寒天は続くよどこまでも」
2010年8月17日

伊豆のお土産に、天草(てんぐさ、海草)をいただいた。寒天の材料だ。

     
   
 

天草(てんぐさ)

 

寒天といえば、ところてん、みつまめ、水羊羹。
九州では固めて切り、刺し身こんにゃくのようにしたものが「おきゅうと」という名前で親しまれているらしい。

うだるように暑い今、なかなか魅力的な気がしてきて、煮てみることにした。

     
   
 

煮ているところ

 

だいたい煮溶けたら漉し、容器に固めてできあがり。

それにしても大量だ。黒蜜をかけても、お刺身にしてからし酢醤油を添えてもまだまだたくさん。

で、保存食にすることにした。本来は諏訪地方などで冬の寒さを利用して作られるそうだが、ここでは冷凍庫で冷凍して自然解凍することを繰り返す。すると水分が抜けておや不思議、売られている角寒天(状のもの)のできあがり。

     
   
 

フリーズドライになった寒天。
もとのゼリー状の寒天は約1Lあり、
この容器にいっぱいだった。

 

天草に始まり、一旦煮溶かされると、寒天になり、冷凍と解凍を繰り返すと角寒天になる。
角寒天を煮溶かすと寒天になり、冷凍と解凍を繰り返すと・・・
エンドレス。

同じく凍らせて作る凍み豆腐(高野豆腐とも)や凍みこんにゃくは煮ても元の姿に戻ることはないが、寒天は終わらない。

     
   
 

梅シロップと混ぜて固めてみました。

 
 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 
■コラム: しらすのつぶやき - 43
「車山高原では、ニッコウキスゲが少なくて・・・」
2010年8月15日

この風景に出合った時、見たことあると感じたのは私だけではなく、思わず「XPの壁紙に似ている!」と叫んだら、周りが同意してくれました。

     
   
  xpの壁紙に似ていた!  

今日は藤沢から、マイクロバスで車山高原へ日帰りハイキングに来たのです。霧ヶ峰(きりがみね)の最高峰、車山(1,925m)。夏季も運行しているリフトを二つ乗り継いで、山頂付近まで登ることが出来ました。

     
   
  リフト乗り場  
     
   
  ハイキングコースの案内版  

目の前に広がる草原と流れる雲を見ながらの昼食は、食欲増進です。ここから歩き始めますが、山頂なのでくだりが続きます。夏空・夏雲と景色を満喫ですが、楽しみにしていたニッコウキスゲは例年の1割とのこと。原因はハッキリしませんが急増したシカの食害を受けて年々数が減っていることは確かなようです。

     
   
  ニッコウキスゲ  
     
   
  シシウドか?  

くだりが終わり、木道に入った所が八島ヶ原湿原です。霧ケ峰の北西部に位置し、総面積は43.2ヘクタール、日本最南の高層湿原と呼ばれる特殊な湿原で、最も高いところは水面より7m高く、泥炭層の厚さは8.5mもあるそうで、歴史は1万2千年に及びます。霧ヶ峰湿原植物群落の一箇所として昭和35年6月10日に国の天然記念に指定されました。

     
   
  アカバナシモツケかな?  
     
   
  八島ヶ原湿原  

水のある景色は落ち着きます。景色を見ながら二つ割れている木道を、気を使いつつ歩きました。山での事故は、すぐに「無謀なシニア」と言う形容詞が付けられますので・・・。

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅124
「藤沢素描(18)カトリック修道院」
2010年8月6日

ことしの夏は、日本列島が連日の酷暑に見舞われている。藤沢も暑い。
この暑さの中を歩いているうちに、突然夢かと見まがう光景に出逢った。
夢、幻じゃないよ、ここは藤沢・善行だよと何度も自分に言い聞かせた。
カトリック修道院「聖心(みこころ)の布教姉妹会・本部修道院」である。

     
   
  内門  

がっしりした門を入ると、左右は濃い緑で大樹が続き、その間を道が
まっすぐにのびて正面に和風の内門が鎮まっている。シスターが私達の
来訪を待っていて下さった。内門も築地塀もお寺の作りなので、西洋の
修道院をイメージしていると、まるで戸惑ってしまう。この緑の空間で
暑さがすでに飛んでしまっていた。

     
   
  聖堂  

内門を入ると、私達にはなじみの立派な太子堂がある。法隆寺の夢殿だ。
八角堂の屋根には宝珠の代わりに十字架がある。この異空間にいると誰
もが驚き、しばらくは茫然と立って見とれているしかないだろう。日本の
修道院なので、建築時(2001年)に和風コンセプトにされたそうだ。

     
   
  聖堂内部(案内書より)  

聖堂の中は意外に広く明るい、そしてやさしい雰囲気である。八角堂の
周囲の壁面が硝子戸で、どの面からも緑樹が見える。硝子戸の内側に障子
がはめられている。天井、壁など、寺院と変わりがない。座り心地がいい
木の椅子が並んでいて、その中には聖書や賛美歌が収められていた。
正面の壁を覆うようにパイプオルガンが立っている。左側に聖母子像。
上から金色の箱が吊り下がっている。聖櫃である。キリストにゆかりの
何ものかが収められている。
(この部分は撮影不可のため案内書をスキャンさせていただいた)

     
   
  聖母子像  

総長のシスターが、修道院の由来をお話して下さった。
聖心(みこころ)の布教姉妹会はカトリック修道院で1920(大正9)年
秋田市においてヨゼフ・ライネルス師によって創立された。1938(昭和
13)年に本部が現在の藤沢市におかれる。修道院は北海道から沖縄まで全
国にあり、社会福祉事業として老人ホームや保育所、教育事業などを運営
している。藤沢市みその台の聖園学園もその一つである。活動域としては
国内の他、東南アジア地域まで含まれる。

     
   
  ハーブ園の一部  

聖堂の中は、とてもやさしく静かな空間で、いつまでも居たい気持に
なる。シスターらの祈りの場所であり、信仰を深められる場所であろう。
聖母子像もパイプオルガンも100年以上前のもので、いずれもドイツから
もたらされたものだとか。
 パイプオルガンの音色を聞きたいという私達の希望に、シスターは皆さ
んが讃美歌「慈しみ深き」をご存知でしたら歌いましょうか・・といわれた。
フィリピン人のシスターがオルガンをひかれ、50人程がしっかりと歌った。
パイプオルガンの伴奏で合唱して、みんな本当に嬉しそうだった。

聖堂の周りも、とてもステキだった。

     
   
  築地塀・・奈良の雰囲気!  
     
   
  聖句などが彫られた時鐘  
     
   
  時鐘にあわせて滝に水が・・  
     
   
  橋掛かりのような・・  
 
市民記者 No.207 おりづるらん
 
■コラム:ほのぼの探検記 - 59
「柔軟でタフな精神力を育てるには?」
2010年7月15日
     
   
     

7月8日、藤沢市民会館小ホールで和田重弘氏による「柔軟でタフな精神力をそだてる」にはという講演会が開催されました。

和田氏は公立中学校の講師を経て、74年に青少年のための寄宿生活塾「はじめ塾」を父から継ぎ、学校という枠組みを出たところで教育実践を重ねてこられました。92年に『NPO法人 子どもと生活文化協会』を設立。著書には『観を育てる』があります。

※「はじめ塾」ホームページはこちら http://hajimejyuku.com/

「柔軟でタフな精神力を育てる」とても興味のある言葉でした。子ども達は勿論、大人でも「柔軟でタフな精神力」があるかと聞かれれば、タフどころか、日々ダメージを受けて弱くなっているように思うのです。その原因はどこにあるのでしょうか。

和田氏の講演は、「若者のことで最近気になっていること」という問いから始められました。「将来に対して子どもや若者が夢や希望を抱けなくなり、働く事ができない若者が増加えている。年齢が低くなるにつれ人の繋がりが希薄になっているのではないか。」と。

「繋がりの希薄」ということは最近よく言われていますよね。私たちの日常生活は機械化が進み、人との繋がりが無くても生活ができるようになってきています。便利さと引き換えに人との繋がりが切れて、孤独感や不安が募る日々・・・・。

私たちが毎日のように使っている携帯電話やメールで、あたかも繋がって
いるかのように思える人間関係も実は幻想にすぎず、本物の人間関係はで
きていないように思います。

それでは人と繋がれるにはどうしたらいいのでしょうか。和田先生によると「繋がりの原点は家庭、そして地域である」ということです。

「家庭では、台所でお手伝を通して自立できる人間になる準備をしていく。地域では、お互いに世話になったり、世話をしたりすることにより繋がりを築いていく。私たちはそんな循環社会を取り戻さなければいけない。地域に参加することにより人の繋がりが築ける人となり、弱い人には手を貸し、強い人は力いっぱい生きていくことが大切なのです。」と熱く語られました。

私たち大人ができることは何でしょうか。家庭でお手伝いを通じて子どもの自立を促し、家族や地域と繋がることで不安や孤独を感じない仲間作りをしていく。

「繋がることで人はタフになれる。家庭や地域で本物の人間関係を作って行こう!」と感じた講演会でした。

 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 
■コラム: しらすのつぶやき - 42
「この木なんの木」
2010年7月9日
     
   
  この木なんの木  

雨予報の蒸し暑い日、人影のなかった公園で、突然目の前が開けた所に、その木は立っていました。思わず、CMが頭に浮かんで来ました。青空の中にまあるく立っている姿が、微笑ましく木の下に入ってみたくて、グングン近づき中に入ってみました。

     
   
  木の下に入ってみる  

この木の名前を知りたくて、詳しい方に聞いてみると「木は葉をみれば判ります。」と言われたので、写真を送ると「けやき」でしょうと教えて貰えました。

     
   
  カナール(静水をたたえた水路)  

ここは国営昭和記念公園です。誘われて菖蒲を見に来たのですが立川口から入ると、日本庭園は一番遠くにありました。辿り着くのに40分は掛かりました。

     
   
  日本庭園の菖蒲  

帰りはパークトレイン(300円)を利用して戻りました。暑くて参りましたがこの「大けやき」に出会えたので好い日になりました。

     
   
  パークトレイン  

参考:「この木なんの木」は英語名で「モンキーポッド」といいます。猿がこの木の実を好んで食べることからつきました。ハワイや熱帯アメリカに分布するマメ科の植物で、ネムノキの仲間なので夕方や雨が降ると葉を閉じたり、枝をたたんだりするかわいい習性を持っています。

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅123
「走水海岸」
2010年7月1日

近ごろ横須賀を3度ウォークした。三浦半島は古代〜中世〜近代と歴史に
富むが、中でも横須賀はロマンの風がいつも吹いていて好きなところだ。

     
   
  走水海岸  

3度のウォーク いずれも走水海岸から、観音崎を抜けた。観音崎は水路が狭
く、江戸・東京湾の喉元にあたる。東京湾で、この辺りは最も流れが速く、走水の
名がある。走水海岸から房総半島富津を結ぶ海上ルートは古代の官道である。

     
   
  走水神社 日本武尊と弟橘媛が祭神  

景行天皇の皇子 日本武尊が東征の折に、走水海岸から上総に渡ったという
記述が記紀にあり、ロマンティックな伝説が残っている。この東征に、日本武尊は
妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)を同行していた。走水海岸では暴風雨に遭い
房総に渡れず立ち往生した。そこで弟橘媛はみずから入水して海神の怒りを
鎮め、航海の安全を図ったという話である。

     
   
     

  さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の
    火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも      弟橘媛


入水前に弟橘媛が詠んだ歌である。
相模野の燃えさかる火の中で、私の安否を心配して下さった君よ…
この少し前、日本武尊の軍隊は、不意に敵襲をうけ、草に火をつけられ、火に
追われて九死に一生を得た。その場所はどこか・・諸説があるようだが。
その一つ、二宮町の吾妻山公園には、この歌を解説する案内板があった。
吾妻山の名称も「吾妻はや〜(我妻よ〜)」と日本武尊が戦いながら大声で
呼びかけたので、この名がある、とあった。

唐突だが私はこの歌を読むと、いつも美智子妃を思い出す。美智子妃が
小学生時代に、この歌に想いを寄せられているのである。
1998年9月ニューデリーで開催された第26回国際児童図書評議会(IBBY)で、
美智子皇后はVTRによる基調講演をされた。タイトルは「橋をかける −こども
時代の読書の思い出− 」(“Building Bridges”)。素晴らしい講演でその後、
すえもりブックスから刊行された。

     
   
  「橋をかける」  

この講演の中で、美智子皇后が戦時中、この歌を10歳くらいの時に疎開先で
読まれて、「まだ子供であったため、その頃は、全てをぼんやりと感じただけな
のですが・・」とその思い出を語っておられる。戦時・疎開先という異常な状況の
中で、一人の少女が愛について深く考えていることもさることながら、この少女が
長じて皇妃になられた不思議さを思わずにいられない。

この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明
のつかない不安感で威圧するものでもありました
古代ではない現代に、海を静めるためや,洪水を防ぐために,一人の人
間の生命が求められるとは,まず考えられないことです。ですから,人身
御供(ひとみごくう)というそのことを,私が恐れるはずはありません。
しかし,弟橘の物語には,何かもっと現代にも通じる象徴性があるように
感じられ,そのことが私を息苦しくさせていました。今思うと,それは愛
というものが,時として過酷な形をとるものなのかも知れないという,
やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への,恐れであり,畏怖(いふ)で
あったように思います。

さらに皇后はこの講演の中で次のように話されているのも印象的だ。

一国の神話や伝説は,正確な史実ではないかもしれませんが,不思議とそ
の民族を象徴します。これに民話の世界を加えると,それぞれの国や地域
の人々が,どのような自然観や生死観を持っていたか,何を尊び,何を恐
れたか,どのような想像力を持っていたか等が,うっすらとですが感じら
れます。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/ibby/

 
市民記者 No.107 本野木阿弥
 
■コラム:今日もひそかに調査中 84
「消えるオタマジャクシ」
2010年6月15日

今年もついにハツカを記録した。
ハツカとは我が家の独自用語で、その年初めて蚊に食われる事を現わす(「初蚊」)。
今年はくしくも5月20日だった。これからの草むしりは厄介だ。

緑が増え、虫が増え、自然観察の楽しい時期になってきた。
虫に気を取られていてふと気がつくと、玄関先で飼っていたオタマジャクシが激減していた。
少し前まではメダカにえさをやると一斉に水面に顔を出していたのに。
犯人はカラスか?ネコか?それともヤゴか?
ヤゴと言えば、イトトンボのヤゴがそれなりにいるのは知っている。
しかしこのやせっぽち君にオタマは大きすぎるような。

夜、玄関先の水槽を見て納得。
暑さを避けてか、夜のうちに集団脱走していたのだった。もう手足が生え、動きもカエルらしくなっていた。
さようなら。

ここのところの雨がちな天気は、彼らにとって絶好の旅立ち日和。

     
   
 

位置について、よーい・・・

 
     
   
 

どん!

 
     
   
 

君(イトトンボ)にも期待してるよ。

 

できれば、たくさん蚊を食べてほしいものだ。

 
市民記者 No.101 アロハ亭夢子
 
■コラム: しらすのつぶやき - 41
「チューブタウン出現!」
2010年6月2日

藤沢市の観光親善大使を務めるTUBE。デビュー25周年のTUBEが藤沢市制施行70周年を記念し、鵠沼海岸でライブを行いました。ライブ会場の隣りに『TUBE TOWN』が出現しました。

     
   
  TUBE TOWN出現  

暑い日だったので、無料で配っていたガリガリ君ソーダ味が大人気。私もいただきました。赤木乳業さん、ありがとう!入り口付近で、FM横浜のクイズに参加。参加賞を配っていたのが「はーい、藤田です。」とラジオの声でしか知らなかった藤田君でした。「いつも聞いています。」と言って握手してもらいました。

     
   
  お洒落な看板  

ウクレレ教室・フラ指導・リボンレイ作りなどの体験がいろいろあります。

     
   
  風船の腕輪  

鮮やかな手つきで子ども達にバルーンアートで、人形を作っているパーフォーマー。その腕にある風船の花が欲しいと思ったので「大人もいいですか?」と聞いてしまいました。そして、作っていただいたのがこれです。

     
   
  食べ物のノボリ  

人が集まれば、お腹が空く。沢山の屋台が並んでいます。

     
   
  ふわふわ  

小さな子ども達がよろこぶ遊具です。

     
   
  ビーチバレー  

ビーチバレーの体験もありました。

     
   
  TUBEカー  

車の他に大型バイクもありました。沢山の人が並んでいた先は、TUBEのグッズを売っていました。今日、ここでしか買えない物があるのでしょう。何かに夢中になれるのは幸せなことですね。ライブには、3万人が集まったと新聞記事で知りました。

 
市民記者 No.105 湘太
 
■コラム:であい旅122
「藤沢素描(17) 遊行寺の春」
2010年5月20日
     
   
  ハクモクレン (3月中旬)  

ことしも満開のハクモクレンを見ることができた。大きな木だ。放生池
の縁から見上げると、青空を背景に無数の白い花が風にゆれて陽光をきら
きらと反射している。周囲の木々が漸く芽吹く頃に気品のある美しい花を
咲かせて、春の到来を告げているようだ。関東一円の寺院で構成された
「東国花の寺百ヶ寺」では、遊行寺がこの花で選ばれている。

     
   
  花まつり (4月8日)  

「遊行寺」・・正確には「藤沢山 無量光院 清浄光寺」
時宗の総本山である。時宗の法主 遊行上人がおられるところから、遊行寺
とよばれる。

     
   
  一遍上人 (4月中旬)  

時宗は鎌倉時代、一遍上人の開祖である。そして遊行寺は、第4代 呑海
上人が創始した(1325年)お寺である。藤沢は遊行寺の門前町として生まれ
江戸時代には東海道の宿場町として栄えた。

     
   
  いろは坂 (4月中旬)  

いろは坂の両脇の桜がやっと咲いた。総門(冠木門)からの緩やかな登り
参道は阿弥陀様四十八願にかけて四十八段あるそうだ。

     
   
  中雀門としだれ桂 (4月中旬)  

中雀門を内側から見ている。遊行寺は開山以来幾度か火災や震災を被って
いるが、中雀門は境内の建造物の中では最古のもので、安政6年(1859)に
建てられた。紀州徳川家の寄進である。屋根などに菊のご紋と葵のご紋が
ついている。
この門は勅使門で開山忌等に開かれる。中雀門の奥の若木はしだれ桂で
ある。遊行寺には珍しい木が多いが、私はこの季節のこの木が好きだ。
夢二が描く美人画の趣きがある。

     
   
  呑海上人  

遊行寺では開山忌が春秋にある。春は呑海上人、秋は一遍上人の忌法要が
行われる。春の開山忌は4月21-24日である。

     
   
  真円上人(#1)  
     
   
  お札  

私は開山忌にお参りするのは初めてである。ご本堂で掌を合わせていると
お坊さんが中に招じてくれて、信徒の方々と共に真円上人手ずからお札を
いただいた。真円上人は卒寿を過ぎておられると聞いたがとてもお元気だ。お札を頂く時は右手で頂く。

     
   
  ぼたん(#2)  

お札には「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と刷り込まれている。時宗の本尊は阿弥陀如来で、「南無阿弥陀仏」の称名が刷られたお札を、遊行上人が60万人の人々に配られて、極楽浄土に導くことを願われている、という意味だそうだ。時宗では遊行上人が巡られるところで、必ずお札を1枚1枚手ずから配られる
一遍上人は生涯、全国を巡り25万人以上の人にお札を配られたという記録があるとか。鎌倉時代の人口が800万人とすれば考えられない数で、非常に苛酷な行脚であったことだろう。

     
   
  お稚児さん(#3)  

開山忌法要中には放生池では魚が放流される。元禄時代、徳川綱吉の生類
憐みの令で江戸市中の金銀の鯉が遊行寺の放生池に放たれたといわれ、
それに因むものだ。他にも稚児行列や踊念仏があると知らされていたが
見に行けなかった。来春には、きっと拝見したい。

     
   
  本堂  

http://www.jishu.or.jp/


(文中の写真で#1-#3は遊行寺さんのHPからお借りしました。許諾済)

 
藤沢市市民記者一周年記念誌「ふじ記第1号」
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「市民記者養成講座」は慶應義塾大学金子郁容研究室(文部科学省/現代GPプロジェクト)と藤沢市の共同で開催され、ISIS編集学校(編集工学研究所)のカリキュラムの一部が利用されています。また、この市民記者のページは編集工学研究所のサポートで運用されています。