■塩田克博(蓮條院)

「離への誘い-髄が痺れ、界が震えた」

 「離」は不意にはじまりました。第3季を共に受けようと約束していたのですが、第2季の案内をもらったときには、約束を忘れ、迷わず申し込んでいました。
 離中は夢中。ニ・ニ六からの格別の十二週間は、アタマの髄の奥底まで痺れ、カラダの界が蕩けるほど震えていました。キーボードを叩きながら、夢に落ちて、顔をあげると、モニターには分けのわからぬ文字が並んでいました。ギリギリの挑戦。トコトンの覚悟。
サイゴの勇気。でも、そこには必ず仲間がいたのです。そのときカラダの奧で、弱く、小さな一つの火が燈り、それがあつくあつく燃え盛っていくのがわかりました。この火はカラダなかの隅々に宿り、今でも、突然、燃えあがってきます。
 離後の覚悟。覚悟の離語。最近、不思議な感覚に襲われることがあります。街を歩いていても、まわりの景色に潛む膨大な情報の姿やうごめきをひしひしと感じてしまうのです。電信柱一本にも来歴があり、そこには途方もない情報の歴史が折り畳まれて、圧倒的な存在を伝播してきます。これが離から放り出された「世界」でした。その世界を知ること。語ること。そして、示すこと。これが託されたお題なのだと思います。いつも、どこにも、離はあるのです。離は時間も空間も超えます。そして、重力の先へ、飛び立ちましょう。
 いざ、ともに!
■オカムラナヲエ(蓮條院)

「自由への旅」

 いつの間にか、高い壁の内側にいました。
 その向こうが見えない。風は届くのに、その生まれた場所に向かうことはできません。いろんな壁に囲まれていくうちに、座りこんだまま、見たことのない何処かをぼんやり思う癖ばかりがつきました。

 「離」は、その壁を破壊する方法を教えてくれました。松岡正剛から配信される文巻を追いかけて、ウェブに潜り、図書館に走り、蓮條院の仲間と交わしあった3ヶ月。夜昼なしの知の運動会でした。
 読書は冒険です。言葉は歴史そのものです。知は、嬉しくて万歳をしたり、ときに呆れてツッコミをいれたりするほどのものです。そう感じたとき壁が落ち、遥かな空間が広がりました。ここからあちらへ、歩いていけるようになったのです。

 しかしいつから「知」は堅苦しく乾いてしまったのでしょう。分厚い本や、緻密な論理が、自分を拒否するものに見えたとは。最初からそうだったでしょうか。

 小さい子供の相手をすると、質問攻めにあいます。これなあに、どうしてそうなるの。果敢に手を伸ばし、世界に対して全身を開いていきます。誰にもきっとそんな時間があった。それがおそらく知の原型です。
 五歳の脳を取り戻し、知の地平へゆっくりと向かう旅。それは「離」の終了と同時に、始まっています。
■赤羽卓美(風鏡院)

「離」=知のオデュッセイ
- 自分自身に向かう長い帰還の旅 -


●ドキドキだった受講前夜
今となっては懐かしくもあるこのフェイズ!
悩んでいる人も、覚悟を決めた人も共通の気持ちですね。校長、総匠、別当師範、退院者のメッセージや発言からから窺い知れる只事ではない雰囲気!どんなことが行われるのか?
...そこに向かう想像と覚悟こそ、「離」の学びをより豊かなものとしてくれると、いまさらながらに思います。 世・界・読・書・術、それぞれの言葉をばらしたり、つなげたりしながら、イメージをマネージしてみてくださいね。

●ハラハラしてた真っ只中
それぞれの事情をかかえての挑戦は、まさに時間との戦い!緻密に過密に組み立てられたカリキュラムが支配する時間のルールこそ、
「離」の学びでそのものなのだと断言できます。ハラハラどころかヒリヒリするような刺激は、全身に刻み込まれることでしょう。
何でも、後回しにしないできることを着実にこなすことが肝要です。解答だけでなくプロセスにこそ「知」が宿ります。

●ワクワクがとまらない現在読書中毒
退院して数ヶ月、人生40年かけて断片的に乱雑にストックされた「知」がとめどもなく動き始めています。整流されていくカタルシスから、新たな好奇心が萌芽します。どうやら、転写された知の母型が作用しているようなのです。「離」は終わらない。ましてや答えもない。退院者それぞれの「離」が立ち現れることでしょう。

 最後に、今、読んでる本の言葉をすべての、「離」受講権利者に贈ります。

 ある人の[確信]の経験は、ほかの人々の認識行為に対しては盲目的な孤独の中でいとなまれる、個人的現象にすぎない。そして、その孤独は、これからみてゆくように、彼がほかの人々と生起させている世界においてのみ、のりこえられるものだ。

 『知恵の樹』
  -生きている世界はどのようにして
   生まれるのか-
     H.R.マトゥラーナ、F.J.ヴァレラ

ボン・ボヤージュ!

 
■川島陽子(風鏡院)

 離論は「語ること」についてから書き始めた。その数ヶ月前の受講の際の課題文は、読み返してみると「話すこと」について書いていた。自分で認識している以上に言葉を放つことが気になっているようだ。が、そのことよりまして、「話す」から「語る」へと言い方が変化していることが気になった。
 離の12週間は、自分の勝手な言い分など考える余裕のないうちに過ぎていった。文巻の大量の文章も、そこで例示される幾多の事象も、手前のうつわをはるかに超え、些細な気分や主張は木の葉のように流された。毎日、足のつかない流れの中でもがき、問いに答える。とっくに限界を越して少し投げやりになった頃、主張や限界といった枠が外れていくのを感じた。
 急流に投げ出された身が本来の姿なのだと教えられた気がする。自分の足で地面に立っているという幻想にいつから囚われていたのだろう。一人波に抗う姿より、周りのいろんなものと流されている姿の方が面白いと知ったことが、離論で「語ること」を書く動機となった。
「話すこと」が点と線だとしたら、「語ること」は地と図だ。点と線のセンシティブな関係も欠くことはできないが、地と図のズレたりユレたりしている対応関係への気づきはこれまで目にしていた世界を一変させた。新しい思考装置を手にして、読むこと、書くことの楽しみを覚えた。