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■古川柳子(玄黒院)
逢い見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり
そう、百人一首でも有名な藤原敦忠の恋の歌。文脈は全く違うのだけど、「離」とは何だったのかと思い返しているとき、ふと浮かんできたのは「昔はものを思わざりけり」という言葉だったのです。本を読むということ、モノを見るということが、それまでとは違って見えてきたから不思議です。
校長直伝「世界読書奥義伝」・・・「守」が編集工学という方法論のツールがどういうものかを教わる場、「破」はその使い方を伝授される場であったとすると、「離」は、校長のマスターピースを見せていただきながら、その方法論がどの部分にどう使われているかということを、マイスター直々に伝えていただく場であったといえるでしょう。そして、「直伝」ならではであったことは、毎日送られてくる校長渾身の文巻、投げかけられる難問の向こう側に、常に「松岡正剛」という知性の体温と想いを感じ続け、出会い直すことができたということでした。
「世界の奥義を読む」とは、目の前にある一編の文章、ひとひらの風景、その裏側に脈打つ「知」の経絡を読むということなのだということを、叩き込まれた3ヶ月。新たなスタートラインに立たせてもらった気がしています。 |
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■先田新一(玄黒院)
飲めば飲むほど、「知」への渇きをかき立てる(Mさんへの手紙)
Mさん、お便りありがとう。「離」を受講すべきかどうかということですね。
そこで考えるのですが、「知」とはいったい何でしょうか?「知りたい」という衝動は、いったいどこから来ているのでしょうか。何かの役に立つから、ということではむろんありません。はっきりしていることは、人は「知」に対して根元的な憧れをもっているということです。「離」の1週目で、たちまちこのことがわかりました。2週目には、いままで知ったつもりでいたことが、実は何の根拠もないものだと気づきました。3週目 には、ボクがいま知りたいことのすべてはここにあると確信しました。
「離」は知への渇きを癒す滋味あふれる飲み物ですが、同時にますます渇きをかき立てるものです。それが証拠に「離」の12週が終わったいま、ボクはかつ てない激しい渇きの中にいます。松岡校長が渾身の力を振り絞った文巻(離のテキストをこう呼んでいます)は、副作用もまた強いのです。Mさん。もしこう した副作用がおいやなら、「離」はあきらめたほうがいいでしょう。
『世界読書奥義伝』の「世界」についてちょっと説明をしておきます。
「世界」は地理的な世界でももちろんあるのですが、歴史という世界でもあり、私たちの頭の中の世界でもあり、宇宙でもあり、また方法という世界でもあり ます。「離」ではこれらの「世界」を丸ごと飲みほします。飲んだはしからまた飲みたくなる、「離」とはそういうものです。
松岡校長からボクは、「サキタくん、これからの人生きっと楽しくなるよ」といわれました。ほんとにそう思います。「離」を受講する心構えはたったひとつ。少年のように、素直に真っ直ぐに、松岡さんのメッセージを受け止めること。その覚悟が決まったら、Mさん、迷わず「離」に飛び込んでいらっしゃい。 |
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■堀口裕世(玄黒院)
こんなにも時間が足りないと思ったことも、こんなにも自分の力不足に歯がゆい思いをしたことも、こんなにも思考だけが遠くまで連れ去られたことも、初めての経験でした。驚きと不安をはらんで始まった「離」は、瞬く間に日常から遠くに私を連れ去り、広い広い世界のなりたちをざっくりと切り取って見せたかと思うと、また次の瞬間には、文巻は否応なく私自身の中に入り、自分自身を見つめることを迫るのでした。
疾風怒濤の十二週間が過ぎて、その間、実に苦しい思いで過ごしたのではありますが、実は自分がどんなにそれに夢中になり、どんなにそれを楽しんでいたか、それは退院した者だけが知る不思議な感覚です。そしてまた、その十二週間は、駆け抜けてきた文巻の世界を、再び渉猟し、吟味し、楽しむために必要なイニシエーションだったと、体感として分かる現在です。
思いがけなく典離をいただいて、よろびとともにとまどいを感じました。自分の回答の完成度ということにすら思い至らぬほど、「離」の日々は濃密に高速だったのです。参加できて幸せでした。本当にありがとうございました。 |
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■小清水美恵(悠窓院)
なんだ坂こんな坂と、トンネルをとんとんとんとのぼり行き、「典離」をした1か月後に懐郷病を患いました。
修羅場は好きなので「離」は楽園。正気の沙汰ではない量の《文巻》、尋常ではない質の《指図、設問、課題》、崩れ落ちる目方の《参照の千夜千冊と書籍》を追いかければ血液が脳に集中し、脈拍に変化が生じ、ちょっとしたトランス状態に陥ります。これは松岡校長の〈編集的世界観〉と接続した証にちがいありません。
退院して帰還した〈社会〉にあるものは正気と尋常と平坦のしょぼい現実でした。そして「離」に戻りたいと泣きべそ……まてよ、出発前の〈社会〉は美しさと刺激
と興奮に満ちていたんじゃない?
明らかにわたしが組みこまれている〈社会〉とわたしたちを覆いこむ〈世界〉の再編集が「離」から始まっています。脱いでも凄い松岡校長の「知」の丸出しはビシッとその「方法」も見せて下さいました。世界読書奥義伝に近づけるか。おっと、「アキレスと亀のパラドクスってなんですか」なんて《指図》が飛んできそうです。 |
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■渡部好美(悠窓院)
「伊藤師範代と離退院渡部の往復書簡(メール)」
離を退院後、ブログに「祖母の糠床」という物語を公開しました。
それに対して、11破指南中の伊藤真由美師範代が感想を寄せてくださいまし
たので、その往復メールの一部をここに紹介します。
伊藤:渡部さんが「破」の物語編集術で書いた「しんげんだけ」ね、あれを読
んだとき、とてつもないエネルギーを感じた。この人、こわいな、って。すご
く内に秘めたものがあって、でもそれを出す術がなくて、マグマみたいに内側
がフツフツとたぎってる人なんじゃないかと…。
渡部:すっかりお見通しだったんですね。長いこと原因のよくわからない感情
のもやに包まれていたけど、「離」を受講してみて、その正体が判ったような
気がする。「破」のときには書くことができなかったことが、表現できるよう
な気がして。ブログの物語「祖母の糠床」は「離」で校長に習った手法を生か
して書きました。それは、すでに編集学校にも千夜千冊にも、たくさん散りば
められていますが、「離」ではそれを具体的に学ぶことができた。そしてその
体験を生かし心のモビルスーツみたいなモノを脱ごうと思った。
伊藤:「しんげんだけ」の渡部さんには奇妙なアンバランスさが、あった。そ
れが今回の「祖母の糠床」では、ストンと立ち位置が決まっていた。渡部さん
の内側にあったものが、適切な糸口を伝い、するすると外側に流れ出してきた
ように読めた…。
渡部:「離」で体験した幼心を使う手法で閉じてた扉が開いてしまった。そし
て、そのドンドン出てくる観念を、触知感覚を使いながらなんとか概念として
表現するという、観念と概念の扱い方を学んだ。つまりそれは、自分の外側と
内側という、自分の立つ場所、見つめる場所が決まり、言葉にする術を獲得で
きたということでもあると思う。
伊藤:校長メソッドによって渡部さんがそこまで変化したのを聞いて鳥肌がた
ったよ。「離」は渡部さんにとってとても大きな出来事だったんだね。その事
実に、私もまた動かされている。ますます離に進んでみたくなった。
渡部:うん。なんだか校長のアタマで考えることができるようになった気すら
する(笑)。きっと、校長は「離」を通し、ご自分をいろんな人に「転写」し
たいんじゃないかな。しかし校長のように全方位万全という人はいない。でも、
だからこそいろんなタイプの人が校長に近づくことができる。
校長は、テロメア複写の時間がゆるすかぎり「転写」したいのじゃないかな。 |
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■林雅之(悠窓院)
第1季<離>世界読書奥義伝の凄さとは、松岡正剛その人が松岡正剛自身をリバースエンジニアリングし、再び松岡正剛に戻る往還を目の当たりにすることであり、離学衆たる我々も文巻を通してその往還のプロセスを松岡正剛と共有経験することが出来るということであった。この往還には空海、ブッダ、網野善彦、西行、フーリエ、良寛、アウグスティヌス、シュレディンガー、アリストテレス、ベネディクトゥス、アインシュタイン、荘子、オッカムなど数多の先人の面影が移ろっている。離受講前であったなら、これら先人の関係線の中に松岡正剛を見出すことは難しかったのではなかろうか。でも退院した現在、松岡正剛が少しづつ観えるようになってきた。同時に編集工学(哲学)も。たぶん一生かけて、ボクは松岡正剛と編集工学を追い続けるだろう。<離>には、そう思わせるパワーが潜んでいたし、それが「典離」認定者の<さだめ>なのだと思う。 |
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